雲消し
今更.....と思う方もいるかもしれないし、何の事?と思う方もいるかもしれない。
要するに「念で雲を消す遊び」の事だ。
僕自身は12〜3年ほど前に暇つぶしに空を眺めていてこの遊びを発見。
ちょっと得意げに友達に自慢したりしていたのだけど、そんな矢先に見ていたテレビ番組で「雲消しおじさん」というコーナーがあり、修行者っぽいおじさんが山の上で雲に向かって刀で斬りつけ、かなり大きい雲塊を消しているところが放映されていてがっかりした(笑)
しかしいざ気にしてみると「フィッシャー・キング」の中でも終わり頃の公園のシーンで全裸のロビン・ウィリアムスが「雲ちぎりをやろう!」と言ってはしゃいでいたり、横尾忠則さんの何かのエッセイでも「富士山が見たくて雲消しをやったら疲れて倒れた...」みたいな記事があったり、はたまた「スピリチュアル・ヒーリング/ベティ・シャイン著」にも紹介されていたりと結構メジャー(?)な遊びだったのだ。
懐疑論者の方は気流のせいだとか偶然だとかいろいろな説を唱えておられる。
もちろん半分くらいはそういうものもあるとは思うけれど、毎回のように偶然が重なる訳はないし、やはり念で消えているというのはやってみると実感として分かる。
それに、意外と誰でも(やる気さえあれば)できる。
やり方のコツとしては
①一生懸命やらないようにする。のぼせてやると、エネルギーがうまく飛ばない。
②エネルギーとしての「レーザー光線」が、自分の心からまっすぐ雲の中に入って行くところを想像し、雲の各所に照射する。
③「雲は消えました」と過去形で言う。
④同時に「ありがとうございました」と過去形でお礼を言う。
というのがよく紹介されているけれど、僕は消したい雲に向かって手かざしをするようにして、視覚的に消えるところをイメージするというやり方で遊んでいる。
雲が既に消えたとイメージするあたりは「過去完了で....」という上のやり方と同じだ。
そんな僕の思い出に残る雲消し記録としては、
川崎にいた頃すごく楽しみにしていた月食の晩に生憎の曇り空になってしまった事があって、どうしても今夜は月が見たい!と思って友人含め3人で頑張って曇り空に向かって雲消しをやったところ見事快晴になって月見ができた。
剣山の山頂でベツレヘムの星(惑星の合で3角形に惑星が並んだ現象、確か3年くらい前の5月5日)が出ると言われた日に山頂が凄いガスだったので雲消しをやったらスーッと雲が晴れて太陽が見えた。夜にはバッチリ星も見れた。
晴れた日に、何となくやってみると結構誰でもできる。
味をしめてやる気満々になった人は是非高い山で.......行者気分で結構楽しいかもしれない。
理屈から言って、上空何百メートルも離れた所にある雲を物理的な手段なしでかき消すなんて事は有り得ないように思える。
にもかかわらず雲は消えるのだ。
大きな入道雲なら真ん中で二つに切ったり、切った片方だけ消したりしていろいろ試してみるのも楽しい。
はじめは時間がかかるかもしれないが、慣れると結構バンバン消える。
でもやり過ぎは疲れるのでほどほどに....
しかし、何より面白いと思うのがこの遊びは「念」というものが物理的な現象を起こす様を実感できることにあると思う。
そして、これは少なからず
「思いは物質化(現象化)する」という事の、小さな証明のようでもある。
明日空を眺める時間があったら、ちょっと試してほしい。
そして、ちょっとした日常の神秘を味わってみるというのも如何なものだろう?
要するに「念で雲を消す遊び」の事だ。
僕自身は12〜3年ほど前に暇つぶしに空を眺めていてこの遊びを発見。
ちょっと得意げに友達に自慢したりしていたのだけど、そんな矢先に見ていたテレビ番組で「雲消しおじさん」というコーナーがあり、修行者っぽいおじさんが山の上で雲に向かって刀で斬りつけ、かなり大きい雲塊を消しているところが放映されていてがっかりした(笑)
しかしいざ気にしてみると「フィッシャー・キング」の中でも終わり頃の公園のシーンで全裸のロビン・ウィリアムスが「雲ちぎりをやろう!」と言ってはしゃいでいたり、横尾忠則さんの何かのエッセイでも「富士山が見たくて雲消しをやったら疲れて倒れた...」みたいな記事があったり、はたまた「スピリチュアル・ヒーリング/ベティ・シャイン著」にも紹介されていたりと結構メジャー(?)な遊びだったのだ。
懐疑論者の方は気流のせいだとか偶然だとかいろいろな説を唱えておられる。
もちろん半分くらいはそういうものもあるとは思うけれど、毎回のように偶然が重なる訳はないし、やはり念で消えているというのはやってみると実感として分かる。
それに、意外と誰でも(やる気さえあれば)できる。
やり方のコツとしては
①一生懸命やらないようにする。のぼせてやると、エネルギーがうまく飛ばない。
②エネルギーとしての「レーザー光線」が、自分の心からまっすぐ雲の中に入って行くところを想像し、雲の各所に照射する。
③「雲は消えました」と過去形で言う。
④同時に「ありがとうございました」と過去形でお礼を言う。
というのがよく紹介されているけれど、僕は消したい雲に向かって手かざしをするようにして、視覚的に消えるところをイメージするというやり方で遊んでいる。
雲が既に消えたとイメージするあたりは「過去完了で....」という上のやり方と同じだ。
そんな僕の思い出に残る雲消し記録としては、
川崎にいた頃すごく楽しみにしていた月食の晩に生憎の曇り空になってしまった事があって、どうしても今夜は月が見たい!と思って友人含め3人で頑張って曇り空に向かって雲消しをやったところ見事快晴になって月見ができた。
剣山の山頂でベツレヘムの星(惑星の合で3角形に惑星が並んだ現象、確か3年くらい前の5月5日)が出ると言われた日に山頂が凄いガスだったので雲消しをやったらスーッと雲が晴れて太陽が見えた。夜にはバッチリ星も見れた。
晴れた日に、何となくやってみると結構誰でもできる。
味をしめてやる気満々になった人は是非高い山で.......行者気分で結構楽しいかもしれない。
理屈から言って、上空何百メートルも離れた所にある雲を物理的な手段なしでかき消すなんて事は有り得ないように思える。
にもかかわらず雲は消えるのだ。
大きな入道雲なら真ん中で二つに切ったり、切った片方だけ消したりしていろいろ試してみるのも楽しい。
はじめは時間がかかるかもしれないが、慣れると結構バンバン消える。
でもやり過ぎは疲れるのでほどほどに....
しかし、何より面白いと思うのがこの遊びは「念」というものが物理的な現象を起こす様を実感できることにあると思う。
そして、これは少なからず
「思いは物質化(現象化)する」という事の、小さな証明のようでもある。
明日空を眺める時間があったら、ちょっと試してほしい。
そして、ちょっとした日常の神秘を味わってみるというのも如何なものだろう?
by yuniwauta
| 2005-06-08 01:06
| 雑記帳