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ゆにわのうたひ

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地図的思考?

前出のボディーマップに関連して、ここのところ何かと思うところがある。

人は自分自身についてある特定の思い込みを持っている。
体について、心のありようについて、適職について...等々。

体については先の記事の通り、もし自分の中で自分自身の体の描き方が間違っていたり、不適切だったりすると、どこかに痛みが生じたりケガをしたりする。
なので、この場合の解決策としては、人体の構造(特に骨格、筋肉系)を知り、自分の体を正しく認識するという事になる。

言い替えればこの事は、自分の中にもともとあったものを再認識している作業でもあり、要するに「あるがまま」の自分(の一側面)を知るという事にも繋がっているように思える。

では.....とふと考えた。
体にマップがあるならば、心にもマップがあるに違いない。

マインドマップという思考の記述法がある。
これは今起こっている思考を整理したり、議事録などを書く場合などに有効で、直線時間的に思考をメモするのではなく、中心のテーマからツリー状に四方に枝を伸ばしていくような記述となる。
これは可視性に優れた記述法で、実際に思考の整理をしやすい。

しかし思考に比べて心のありようとなると、体ほど容易にはマッピングできるものではない。
必ずしも肝臓がここにあって....というような単純な定義ができないのだ。
先のボディーマップのように、自分の心のマップが正しく描けているのか、不適切なのか、容易には測ることができないのだ。

例えば、Aという人には突出した画才があり、充分に世界に通用する才能を持っている。
しかし、本人は絵には自信がなく、自分は食べる事が好きなので向いているのは料理人ではないかと思っている。
これは、ある意味で「マップが不適切」な状態に近いように思う。
Aは努力しだいでは料理人としてそこそこモノになるかもしれないが、何か不釣り合いな気持ちが残るに違いない。
もし素直に画才を信じて努力するならば、Aの人生は多いに発展するだろう。

スピリチュアルな語法ではバースビジョンと呼ぶのだが、人はこの生で何かを成し遂げるというある種の目的を持って産まれてきていると言われている。

それはより具体的な職業や立場を現している事もあるようだが、もっと漠然として
「人を受け入れるという事を学ぶため」であったり。
「奉仕するという事を学ぶため」であったり。
はたまた、過去生に於いて享楽の限りを尽くした人が、今生は比較的貧しい生まれを経験し、「いろいろな立場の人生があるということを知る」という事が目的である場合もあるらしい。

これは、ある意味での自分のマップとは言えないだろうか?

こうしたビジョンを意識化している人は少ないかもしれないが、無意識にこうしたマップに沿った生き方をしている人は多いに違いない。
そして、それが本来のマップとより整合性が高ければ、その人はより充実した生を経験しているに違いない。

僕自身こうして振り返ってみて、自分自身のバースビジョンは何だろう?と問うてみる。
しかし、何年もずっと問い続けているのだけれど、未だに満足な答えは出ていない。

それでも仕事や遊びを通して、今一番充実を感じていることだけは確かだったりする。
それが答えなのかもしれない。
by yuniwauta | 2005-11-29 21:02 | 雑記帳

ゆにわ主宰          歌島のひとりごと 


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