サマディツアー体験記<6日目 その3 サマディアウト>
待ちに待った、アウトの瞬間が来ていた。
既に僕の前には先の南インドの聖者さんと、カメラマンの背中しか見えなかったが、携帯で映像記録を撮っていたので、右手だけを伸ばしてモニターを通して中の様子をかろうじて伺い知れた。
アスタルの中にフラッシュが光るとヨグマタの赤い服が見えた。
ピンク色の敷布の上で、座法を組んだまま動かないヨグマタの姿があった。
周囲からのヨグマタを呼ぶ叫び声が一層高まる。
梯子が降ろされ、ババジが手を叩いて呼びかけていた。
72時間のサマディ。
水も食物も空気もなく、ヨグマタは幾多の人々の想いや期待を一身に受けて、この暗闇で何を体験していたのだろう?
しばらくして、ヨグマタの頭が動き手が動いた時、安心してため息が出た。
始めは少し眩しそうな顔をされていたが、何度か軽く柔軟をして、梯子を登って来られた。
サマディからの復活である。
太陽の下に現れたヨグマタは、入る時よりももっと軽やかで、肌は瑞々しく透き通るようで、眩しいほど輝いてみえた。
アスタルの入り口を塞いで屋根に移り、周囲の集まる人々全てを祝福した。
祈りを捧げる人、手を振ってヨグマタの名を呼ぶ人、僕や周りにいた人は子供のように笑っていた。
この時の感情を言葉にする事はできない。
どこかは水を打ったように静かなのに、とにかく嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
皆と一緒になって叫びたくもあったが、言葉も声も出せず、ただ笑っていた。
周りも興奮状態になり、迫り来る群集に押されてアスタルを仕切る金網が切れてしまったり、もうもみくちゃの状態だったがそれも可笑しかった。
何が起こっても大丈夫だ、この生でこの場にいる事ができたのだから.....
心からそう思った。
ほどなくして、スピーチ会場への移動。
通路は柵で仕切られていたが、復活したヨグマタの姿を一目見ようと、黒山の人だかりが通路を覆っていた。
ヨグマタが会場へ移動してくるにつれ、礼拝する人々の波が起きた。
日本人はおろか西洋人もほとんどいない会場は、褐色と色とりどりのサリーで埋め尽くされていたが、これは始めて見る光景で新鮮だった。
ステージ上に来たヨグマタは、一気に大勢のメディアに囲まれてしまい、すぐ脇の席にいたのに、ほとんど姿が見えなかったほどだった。
アラハバードのヒンドゥ教の最高指導者の方や、ヨグマタのサマディアウトを賛辞する多くの来賓のあと、サマディアウト後の初めてのダルシャン。
そこには、まるでちょっとお風呂にでも行って帰ってきたかのような、疲れた様子など微塵もなく、リフレッシュしてピカピカに輝いて笑顔でダルシャンをするヨグマタの姿があった。
膝に手を触れ挨拶をした時、もうその時は言葉が詰まってしまって、ただ感謝する事しかできず『夫婦でここに来れました、ありがとうございます。』と言うので精一杯だった。
それでも、心は充分に満ち足りていて、それ以上望むものは何もなかった。
既に僕の前には先の南インドの聖者さんと、カメラマンの背中しか見えなかったが、携帯で映像記録を撮っていたので、右手だけを伸ばしてモニターを通して中の様子をかろうじて伺い知れた。
アスタルの中にフラッシュが光るとヨグマタの赤い服が見えた。
ピンク色の敷布の上で、座法を組んだまま動かないヨグマタの姿があった。
周囲からのヨグマタを呼ぶ叫び声が一層高まる。
梯子が降ろされ、ババジが手を叩いて呼びかけていた。
72時間のサマディ。
水も食物も空気もなく、ヨグマタは幾多の人々の想いや期待を一身に受けて、この暗闇で何を体験していたのだろう?
しばらくして、ヨグマタの頭が動き手が動いた時、安心してため息が出た。
始めは少し眩しそうな顔をされていたが、何度か軽く柔軟をして、梯子を登って来られた。
サマディからの復活である。
太陽の下に現れたヨグマタは、入る時よりももっと軽やかで、肌は瑞々しく透き通るようで、眩しいほど輝いてみえた。
アスタルの入り口を塞いで屋根に移り、周囲の集まる人々全てを祝福した。
祈りを捧げる人、手を振ってヨグマタの名を呼ぶ人、僕や周りにいた人は子供のように笑っていた。
この時の感情を言葉にする事はできない。
どこかは水を打ったように静かなのに、とにかく嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
皆と一緒になって叫びたくもあったが、言葉も声も出せず、ただ笑っていた。
周りも興奮状態になり、迫り来る群集に押されてアスタルを仕切る金網が切れてしまったり、もうもみくちゃの状態だったがそれも可笑しかった。
何が起こっても大丈夫だ、この生でこの場にいる事ができたのだから.....
心からそう思った。
ほどなくして、スピーチ会場への移動。
通路は柵で仕切られていたが、復活したヨグマタの姿を一目見ようと、黒山の人だかりが通路を覆っていた。
ヨグマタが会場へ移動してくるにつれ、礼拝する人々の波が起きた。
日本人はおろか西洋人もほとんどいない会場は、褐色と色とりどりのサリーで埋め尽くされていたが、これは始めて見る光景で新鮮だった。
ステージ上に来たヨグマタは、一気に大勢のメディアに囲まれてしまい、すぐ脇の席にいたのに、ほとんど姿が見えなかったほどだった。
アラハバードのヒンドゥ教の最高指導者の方や、ヨグマタのサマディアウトを賛辞する多くの来賓のあと、サマディアウト後の初めてのダルシャン。
そこには、まるでちょっとお風呂にでも行って帰ってきたかのような、疲れた様子など微塵もなく、リフレッシュしてピカピカに輝いて笑顔でダルシャンをするヨグマタの姿があった。
膝に手を触れ挨拶をした時、もうその時は言葉が詰まってしまって、ただ感謝する事しかできず『夫婦でここに来れました、ありがとうございます。』と言うので精一杯だった。
それでも、心は充分に満ち足りていて、それ以上望むものは何もなかった。
by yuniwauta
| 2007-02-08 00:25
| 瞑想