ゆにわは昨日で今年の仕事おさめ。
ボディワークでも、今年も沢山のお越し、ありがとうございました!
今年は特に震災と原発事故、世界中で起こった異常気象や動乱など、世の中の変化が大変激しかったので、クライアントさんの身体にもいつもにない変化が大きくあり、また自分自身も大きな意識変化を余儀なくされた一年でありました。
一時、震災のショックから音楽活動の方には気持ちが向かえなくなったりしましたが、何故かワークショップでは子供に関わるオファーを多く頂いた事で大きな癒しを得て、また自分自身が向かうべき方向性も見えてきたように思います。
2011年 一年の総括
1月
・松江青少年支援センターでの活動延長でドラムスクール開始。
・飯塚ドラマスクールにて、今まで社会人向けにしか開催してこなかったソングワークを初めて子供達に。
・佐賀 託老所でのワークとファミリーシアターに初参加。佐賀インプロメンバーとインプロライブ。
2月
・古代出雲歴史博物館の企画展テーマ曲「CROSS ROAD」作成、TVCMなどでも曲が流れる。
3月
東日本大震災発災
・飯塚ドラマスクールOB公演、インプロ公演
・歴博にてライブ。音楽、パフォーマンスの存在理由について、より深く考えるようになる。
4月
脱原発集会に参加。音楽活動に気持ちが向かえず、社会運動含め、世界の情勢、裏側の真実追求に執心。
5月
上関へのリサーチ、友人と共に脱原発集会主催。
・歴博にてトークライブ
6月
・旧大社駅にてライブ(映像使用の試み)
・安来市宇賀荘幼稚園にてワーク、幼稚園児50人は流石に大変だった…リベンジ希望!
7月
・古民家にてビジョン茶話会
・大阪にて子供対象にワーク。
8月
・大阪にて子供対象にワーク。
・飯塚インプロメンバーと被災地(宮城県)へ
インプロ公演、ワークショップ、大川小学校にて音の献花。
・古代出雲歴史博物館の企画展テーマ曲「たたらうた」作成。
9月
・大阪にて子供対象にワーク。
・歴博観月会ライブ。
自然との繋がりを思い出すべく屋久島へ。
屋久島~霧島山系~高千穂~阿蘇山と縄文文化と神話の旅。
10月
・大阪にて連続ワーク。
11月
・古志古民家塾にて生楽器のみの企画ライブ「五蘊礼拝」
・温泉津町井田文化祭イーデンイーデン出演。優勝。米俵一俵獲得。
12月
・「子供とメディア」にて、家族の歌つくりワーク。
・インプロ集団「モザイクス」公演
・飯塚ドラマスクール発表会。
・インプロマラソン 初参加。
こうして振り返ってみると、今年は色んな場所で特に子供達に触れる機会が多かったと思います。大阪での4連続ワークでは図形楽譜での作曲、演奏に挑戦してもらったりしながらも、積み重ねによって子供達の中からも自然と歌が産まれてくるのに感動しました。また、飯塚での家族の歌つくりワーク。
当初はどうなることかと心配しましたが、見事に四家族のそれぞれのオリジナルソングができました。
予定があったのに、帰りたくないと言って残ってくれた子供が居たのも嬉しかったです。
僕自身子供は大好きですが、現代の子供が置かれている様々な問題に対しても、色々と思うところがあり、今後地元に於いても、何らかのアクションを起こせないかと画策中です。ワークショップなど、企画中の方やご興味ある方、是非ご連絡を!
歴史博物館でのテーマ曲作成のオファーや観月会、ミニライブなども今年は沢山させて頂きました。次回3月の青銅器展のテーマも作成中で、ここまでで一枚のアルバムにしてリリースの予定です。
また、「五蘊礼拝」のアルバムも同時リリースの予定です。
また、一年を通じて、飯塚メンバーとは被災地訪問や舞台公演、インプロライブも含め様々なシーンでご一緒させて頂きました。何せ震災の翌日に飯塚でしたから…リハ中にTwitterで一号機の爆発の記事を見た時の衝撃は今でも忘れません。図らずも、今年始め頃から上関での原発建設に関する騒動に関心を寄せ、自分なりに原発事故や放射能影響について調べていた最中でしたので、東京に居る友人の事も含め、目の前が真っ暗になりました。そんな中での公演でしたから、メンバーとは独特の深い縁があるに違いないと感じています。
飯塚での今年最後の日に、山田先生から大川小学校のご遺族の方からお米と一緒に送られて来たお手紙と詩を頂きました。満月の照らす中で捧げさせて頂いた音楽と、皆さんで歌った大川小学校の校歌。
その時に聴こえた子供達の歌声は今でも忘れません。送っていただいたお米は、遺族の方の未だ癒えぬ涙の味がしました。
おそらく誰にとっても激動の一年であったと思われる2011年でしたが、今年出会った沢山の方々、お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。
皆さんにとっても、また来年はより良き一年となりますように。
被災地の方々の痛みが癒されますように。
世界が平和になりますように。
心よりお祈りしています。
歌島 拝
ボディワークでも、今年も沢山のお越し、ありがとうございました!
今年は特に震災と原発事故、世界中で起こった異常気象や動乱など、世の中の変化が大変激しかったので、クライアントさんの身体にもいつもにない変化が大きくあり、また自分自身も大きな意識変化を余儀なくされた一年でありました。
一時、震災のショックから音楽活動の方には気持ちが向かえなくなったりしましたが、何故かワークショップでは子供に関わるオファーを多く頂いた事で大きな癒しを得て、また自分自身が向かうべき方向性も見えてきたように思います。
2011年 一年の総括
1月
・松江青少年支援センターでの活動延長でドラムスクール開始。
・飯塚ドラマスクールにて、今まで社会人向けにしか開催してこなかったソングワークを初めて子供達に。
・佐賀 託老所でのワークとファミリーシアターに初参加。佐賀インプロメンバーとインプロライブ。
2月
・古代出雲歴史博物館の企画展テーマ曲「CROSS ROAD」作成、TVCMなどでも曲が流れる。
3月
東日本大震災発災
・飯塚ドラマスクールOB公演、インプロ公演
・歴博にてライブ。音楽、パフォーマンスの存在理由について、より深く考えるようになる。
4月
脱原発集会に参加。音楽活動に気持ちが向かえず、社会運動含め、世界の情勢、裏側の真実追求に執心。
5月
上関へのリサーチ、友人と共に脱原発集会主催。
・歴博にてトークライブ
6月
・旧大社駅にてライブ(映像使用の試み)
・安来市宇賀荘幼稚園にてワーク、幼稚園児50人は流石に大変だった…リベンジ希望!
7月
・古民家にてビジョン茶話会
・大阪にて子供対象にワーク。
8月
・大阪にて子供対象にワーク。
・飯塚インプロメンバーと被災地(宮城県)へ
インプロ公演、ワークショップ、大川小学校にて音の献花。
・古代出雲歴史博物館の企画展テーマ曲「たたらうた」作成。
9月
・大阪にて子供対象にワーク。
・歴博観月会ライブ。
自然との繋がりを思い出すべく屋久島へ。
屋久島~霧島山系~高千穂~阿蘇山と縄文文化と神話の旅。
10月
・大阪にて連続ワーク。
11月
・古志古民家塾にて生楽器のみの企画ライブ「五蘊礼拝」
・温泉津町井田文化祭イーデンイーデン出演。優勝。米俵一俵獲得。
12月
・「子供とメディア」にて、家族の歌つくりワーク。
・インプロ集団「モザイクス」公演
・飯塚ドラマスクール発表会。
・インプロマラソン 初参加。
こうして振り返ってみると、今年は色んな場所で特に子供達に触れる機会が多かったと思います。大阪での4連続ワークでは図形楽譜での作曲、演奏に挑戦してもらったりしながらも、積み重ねによって子供達の中からも自然と歌が産まれてくるのに感動しました。また、飯塚での家族の歌つくりワーク。
当初はどうなることかと心配しましたが、見事に四家族のそれぞれのオリジナルソングができました。
予定があったのに、帰りたくないと言って残ってくれた子供が居たのも嬉しかったです。
僕自身子供は大好きですが、現代の子供が置かれている様々な問題に対しても、色々と思うところがあり、今後地元に於いても、何らかのアクションを起こせないかと画策中です。ワークショップなど、企画中の方やご興味ある方、是非ご連絡を!
歴史博物館でのテーマ曲作成のオファーや観月会、ミニライブなども今年は沢山させて頂きました。次回3月の青銅器展のテーマも作成中で、ここまでで一枚のアルバムにしてリリースの予定です。
また、「五蘊礼拝」のアルバムも同時リリースの予定です。
また、一年を通じて、飯塚メンバーとは被災地訪問や舞台公演、インプロライブも含め様々なシーンでご一緒させて頂きました。何せ震災の翌日に飯塚でしたから…リハ中にTwitterで一号機の爆発の記事を見た時の衝撃は今でも忘れません。図らずも、今年始め頃から上関での原発建設に関する騒動に関心を寄せ、自分なりに原発事故や放射能影響について調べていた最中でしたので、東京に居る友人の事も含め、目の前が真っ暗になりました。そんな中での公演でしたから、メンバーとは独特の深い縁があるに違いないと感じています。
飯塚での今年最後の日に、山田先生から大川小学校のご遺族の方からお米と一緒に送られて来たお手紙と詩を頂きました。満月の照らす中で捧げさせて頂いた音楽と、皆さんで歌った大川小学校の校歌。
その時に聴こえた子供達の歌声は今でも忘れません。送っていただいたお米は、遺族の方の未だ癒えぬ涙の味がしました。
おそらく誰にとっても激動の一年であったと思われる2011年でしたが、今年出会った沢山の方々、お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。
皆さんにとっても、また来年はより良き一年となりますように。
被災地の方々の痛みが癒されますように。
世界が平和になりますように。
心よりお祈りしています。
歌島 拝
震災から7ヶ月、またも世田谷や横浜で高い放射線量のマイクロホットスポットが見つかり、原発の状況は、政府発表とは裏腹に全く収束の方向性が見えていません。
こうしたニュースの影に隠れて、こそこそと、しかもはっきりと状況が見えにくい中で着々と進みつつあるのがTPP。
なにせ内情がよく分かっていないうえ、報道の方も今イチ歯切れが悪い、一見農業問題かのように思われがちですが、実はトンデモナイ問題を含んだ、ムチャ振り契約とでも言えるようなシロモノです。
大変分かりやすいまとめサイトがありますので、TPPって何?という方は、まずこちらをお読み下さい。
『サルでもわかるTPP』
ここをクリック
そして先日行われた岩上安身氏による元農林水産大臣山田正彦氏へのインタビューも、是非ご覧下さい。山田氏は『TPPを慎重に考える会』の会長もされています。
http://iwakamiyasumi.com/archives/13430
震災復興と原発問題で大変な事になっている日本。
こんなものを許してしまうと、原発どころの騒ぎでなくなってしまうかもしれません。。。
こうしたニュースの影に隠れて、こそこそと、しかもはっきりと状況が見えにくい中で着々と進みつつあるのがTPP。
なにせ内情がよく分かっていないうえ、報道の方も今イチ歯切れが悪い、一見農業問題かのように思われがちですが、実はトンデモナイ問題を含んだ、ムチャ振り契約とでも言えるようなシロモノです。
大変分かりやすいまとめサイトがありますので、TPPって何?という方は、まずこちらをお読み下さい。
『サルでもわかるTPP』
ここをクリック
そして先日行われた岩上安身氏による元農林水産大臣山田正彦氏へのインタビューも、是非ご覧下さい。山田氏は『TPPを慎重に考える会』の会長もされています。
http://iwakamiyasumi.com/archives/13430
震災復興と原発問題で大変な事になっている日本。
こんなものを許してしまうと、原発どころの騒ぎでなくなってしまうかもしれません。。。
昨日9月19日。
都内では作家の大江健三郎氏などの呼びかけによって『さよなら原発アクション』と称する大規模なデモがありました。明治公園だけで6万人も集まったと言われますが、ほとんどの報道機関はわずかに取り上げるか無視されてしまいました。

動画もあります。
上記動画の中には沢山の方のスピーチが収録されています。
最後の「ハイロ(廃炉)アクション福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんのスピーチが『猫ぼけ生活』さんのブログ(http://ameblo.jp/cats-dararaka/)に書き起こされていましたので、ここに転記させて頂きます。
=========================================
福島の皆さん、どうぞ立ち上がってください。
今日は福島県内から、避難先から、何台もバスを連ねて、
たくさんの仲間と一緒にやってまいりました。
初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。
それでも福島原発で起きた悲しみを伝えよう。
私達こそが原発いらないの声をあげようと、声を掛け合い誘い合ってやってまいりました。
はじめに、申し上げたいと思います。
3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆることに取り組んできたみなさん、
ひとりひとりを深く尊敬いたします。
そして福島県民に温かい手を差し伸べ、繋がり、様々な支援をしてくださった方々に
お礼を申し上げます。ありがとうございます。
そしてこの事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子供達、
若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心から謝りたいと思います。
本当にごめんなさい。
さてみなさん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を望む
浜通り、桃、梨、林檎と果物の宝庫の中通り、猪苗代湖と磐梯山のまわりに黄金色の
稲穂が垂れる会津平野、そのむこうを深い山々が縁取っています。
山は青く、水は清らかな私達のふるさとです。
3.11原発事故を境に、その風景に目には見えない放射能が降り注ぎ、
私達は被曝者となりました。
大混乱の中で、私達には様々なことが起こりました。
素早く張り巡らされた安全キャンペーンと不安の間で、引き裂かれてゆく人と人との繋がり。
地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人が悩み悲しんだことでしょう。
毎日毎日、否応なく迫られる決断。
逃げる、逃げない。食べる、食べない。
子供にマスクをさせる、させない。
洗濯物を外に干す、干さない。
畑を耕す、耕さない。
なにかに物申す、黙る。
様々な苦渋の選択がありました。
そして今、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、
事実は隠されるのだ。
国は国民を守らないのだ。
事故は未だに終わらないのだ。
福島県民は、核の実験材料にされるのだ。
莫大な放射能のゴミは残るのだ。
大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ。
私達は捨てられたのだ。
私達は疲れと、やりきれない悲しみに、深いため息をつきます。
でも、口をついて出てくる言葉は、
「私達をバカにするな」「私達の命を奪うな」です。
福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。
子供達を守ろうと、母親が父親が、おじいちゃんがおばあちゃんが、
自分達の未来を奪われまいと若い世代が、
大量の被曝に晒されながら、事故処理にあたる従業者を助けようと労働者達が、
土地を汚された絶望の中から農民が、
放射能による新たな差別と分断を生むまいと障がいをもった人々が、、
一人ひとりの市民が、国と東電の責任を問い続けています。
そして、原発はもういらないと声を上げています。
私達は静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。
私達福島県民は、故郷を離れるものも、福島の土地に留まり生きるものも、
苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。
私達と繋がってください。
私達が起こしているアクションに注目してください。
政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発放射能についての学び、
そしてどこへでも出かけ福島を語ります。
今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。
思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。
私達を助けてください。
どうか福島を忘れないで下さい。
もうひとつ、お話したいことがあります。
それは私たち自身の生き方、暮らし方です。
私達は何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。
便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っているということに、
思いを馳せなければなりません。
原発は、その向こうにあるのです。
人類は地球に生きるただ一種類の生きものにすぎません。
自らの種族の未来を奪う生きものが、他にいるでしょうか。
私はこの地球という美しい星と調和した、まっとうな生きものとして生きたいです。
ささやかでもエネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、
豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
どうしたら、原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか、
誰にも明確な答えはわかりません。
できることは誰かが決めたことに従うのではなく、
一人ひとりが、ほんとうにほんとうに、本気で自分の頭で考え、
確かに目を見開き、自分が出来ることを決断し、
行動することだと思うのです。
一人ひとりにその力があることを思い出しましょう。
私達は誰でも変わる勇気を持っています。
奪われてきた自身を取り戻しましょう。
原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、
限りなく横に広がり、繋がり続けていくことが私達の力です。
たった今、隣りにいる人と、そっと手を繋いでみてください。
見つめあいお互いの辛さを聞きあいましょう。
涙と怒りを許しあいましょう。
今繋いでいるその手の温もりを、日本中に世界中に広げていきましょう。
私達一人ひとりの背負っていかなければならない荷物が、途方もなく重く
道のりがどんなに過酷であっても、目を逸らさずに支えあい、
かろやかに、ほがらかに、生き延びていきましょう。
ありがとうございました。
==================================
都内では作家の大江健三郎氏などの呼びかけによって『さよなら原発アクション』と称する大規模なデモがありました。明治公園だけで6万人も集まったと言われますが、ほとんどの報道機関はわずかに取り上げるか無視されてしまいました。

動画もあります。
上記動画の中には沢山の方のスピーチが収録されています。
最後の「ハイロ(廃炉)アクション福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんのスピーチが『猫ぼけ生活』さんのブログ(http://ameblo.jp/cats-dararaka/)に書き起こされていましたので、ここに転記させて頂きます。
=========================================
福島の皆さん、どうぞ立ち上がってください。
今日は福島県内から、避難先から、何台もバスを連ねて、
たくさんの仲間と一緒にやってまいりました。
初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。
それでも福島原発で起きた悲しみを伝えよう。
私達こそが原発いらないの声をあげようと、声を掛け合い誘い合ってやってまいりました。
はじめに、申し上げたいと思います。
3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆることに取り組んできたみなさん、
ひとりひとりを深く尊敬いたします。
そして福島県民に温かい手を差し伸べ、繋がり、様々な支援をしてくださった方々に
お礼を申し上げます。ありがとうございます。
そしてこの事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子供達、
若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心から謝りたいと思います。
本当にごめんなさい。
さてみなさん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を望む
浜通り、桃、梨、林檎と果物の宝庫の中通り、猪苗代湖と磐梯山のまわりに黄金色の
稲穂が垂れる会津平野、そのむこうを深い山々が縁取っています。
山は青く、水は清らかな私達のふるさとです。
3.11原発事故を境に、その風景に目には見えない放射能が降り注ぎ、
私達は被曝者となりました。
大混乱の中で、私達には様々なことが起こりました。
素早く張り巡らされた安全キャンペーンと不安の間で、引き裂かれてゆく人と人との繋がり。
地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人が悩み悲しんだことでしょう。
毎日毎日、否応なく迫られる決断。
逃げる、逃げない。食べる、食べない。
子供にマスクをさせる、させない。
洗濯物を外に干す、干さない。
畑を耕す、耕さない。
なにかに物申す、黙る。
様々な苦渋の選択がありました。
そして今、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、
事実は隠されるのだ。
国は国民を守らないのだ。
事故は未だに終わらないのだ。
福島県民は、核の実験材料にされるのだ。
莫大な放射能のゴミは残るのだ。
大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ。
私達は捨てられたのだ。
私達は疲れと、やりきれない悲しみに、深いため息をつきます。
でも、口をついて出てくる言葉は、
「私達をバカにするな」「私達の命を奪うな」です。
福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。
子供達を守ろうと、母親が父親が、おじいちゃんがおばあちゃんが、
自分達の未来を奪われまいと若い世代が、
大量の被曝に晒されながら、事故処理にあたる従業者を助けようと労働者達が、
土地を汚された絶望の中から農民が、
放射能による新たな差別と分断を生むまいと障がいをもった人々が、、
一人ひとりの市民が、国と東電の責任を問い続けています。
そして、原発はもういらないと声を上げています。
私達は静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。
私達福島県民は、故郷を離れるものも、福島の土地に留まり生きるものも、
苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。
私達と繋がってください。
私達が起こしているアクションに注目してください。
政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発放射能についての学び、
そしてどこへでも出かけ福島を語ります。
今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。
思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。
私達を助けてください。
どうか福島を忘れないで下さい。
もうひとつ、お話したいことがあります。
それは私たち自身の生き方、暮らし方です。
私達は何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。
便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っているということに、
思いを馳せなければなりません。
原発は、その向こうにあるのです。
人類は地球に生きるただ一種類の生きものにすぎません。
自らの種族の未来を奪う生きものが、他にいるでしょうか。
私はこの地球という美しい星と調和した、まっとうな生きものとして生きたいです。
ささやかでもエネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、
豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
どうしたら、原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか、
誰にも明確な答えはわかりません。
できることは誰かが決めたことに従うのではなく、
一人ひとりが、ほんとうにほんとうに、本気で自分の頭で考え、
確かに目を見開き、自分が出来ることを決断し、
行動することだと思うのです。
一人ひとりにその力があることを思い出しましょう。
私達は誰でも変わる勇気を持っています。
奪われてきた自身を取り戻しましょう。
原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、
限りなく横に広がり、繋がり続けていくことが私達の力です。
たった今、隣りにいる人と、そっと手を繋いでみてください。
見つめあいお互いの辛さを聞きあいましょう。
涙と怒りを許しあいましょう。
今繋いでいるその手の温もりを、日本中に世界中に広げていきましょう。
私達一人ひとりの背負っていかなければならない荷物が、途方もなく重く
道のりがどんなに過酷であっても、目を逸らさずに支えあい、
かろやかに、ほがらかに、生き延びていきましょう。
ありがとうございました。
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8月8日から13日まで、大阪〜宮城へとワークショップとパフォーマンスの旅をしてきました。
大阪では子供たちへのソング(とうより音遊び)のワーク、宮城では飯塚ドラマスクールOBのメンバーと共にワークとパフォーマンスを子供たちへの文化支援の一環として。
中でも、震災以降、被災地へと赴くのは初めてでしたし、ネットを通じて感じていた事と現地の空気の中で感じる事とはきっと違うと思っていました。色々な事がありましたが、僕の中で一番大きかったのは11日の夜、石巻の大川小学校で音楽を捧げさせて頂いた事です。
長文ですが、自分自身の忘備録として書きます。
はじめ、飯塚ドラマスクールを主宰されているYさんからこのお話を頂いたとき、正直とても重いお役だと思いました。ライトアップニッポンという企画で、全国から義援金を募り、被災地の各所で慰霊の花火をあげるという事でしたが、大川小学校のあたりは壊滅的な被害にあっているので、インフラが整っておらず、当然電気も通っていない。花火をあげた後、暗い夜道を遺族の方々が帰って行かれる時があまりに寂しいので、そこで鎮魂の音楽を奏でて、皆さんが少しでも和んで帰れる様に演奏して欲しいといったお話でした。
ただ、3月11日以降、被災地の方々に何かできないか、自分なりの支援とは何だろうと考えつつも、なかなか具体的な行動に出る事ができないままで悶々としていたので、これは機会を与えて頂けたと、お受けしました。
僕たちを大川小学校へと案内して下さったのは、宮城でもともと支援学級の子供たちの心理カウンセラーをされているSさんという方でした。Sさんは震災直後からこの大川小学校の遺族の方々の心のケアにも取り組んでおられました。とても心のキャパシティーの大きな方で、僕はちょっとSさんの事を簡単に書けません、前日に秋保温泉の合宿所でオカリナでアメンジング・グレイスを吹いて下さった。大川小学校にも何度も赴いて、子供たちに向けてこの曲を吹いておられたという事でしたが、その音は胸の深い深い所まで響いて、感動というよりも、むしろその地に満ちている悲しみの想いや、失われた町の風景がありありと伝わってきました。

(途中に寄った東松島の中学校にて。津波の跡が2階の壁や窓に残っている)

(同じ学校の体育館。幸い生徒たちは無事だったが、卒業式の飾りがそのまま、大量の土砂とがれきが流れ込んでいる。)
Sさんの車に乗り、大川小学校への道すがら、かつてSさんが赴任していた学校や、現地の方々の置かれている状況や問題についてお話を聞きました。亡くなった子供たちと生き残った子供たち、遺族の葛藤、行政の不備...状況は時が傷を癒して、とは未だ言い難い。むしろ長期化するにつれでますます違った問題が生じて更に悪化しているようでさえありました。
そして、大川小学校への道は、多少整備されたとはいえあちこちにブルーシートがかかり、付近の家屋も半壊のまま放置、インフラ整備も行き届いていないという状況で、数日前に、やはり安全管理ができないという事で、ここでの花火が中止になってしまっていました。
必死でここでの花火を開催しようと頑張っていた遺族の方の落胆はそれは激しかったそうです。翌日の新聞を見れば、他の会場では花火があがったのに、大川小学校だけはできなかったのです。
そのかわりと言っては何ですが、僭越ながら、音楽だけ捧げに行かせて頂く事になりました。飯塚から音響機材を持ち込み、僕はシンセを、電源は車のシガーソケットからひいての急あつらえです。
ここで、何を奏でたらいいのだろうと、お話を頂いてから随分と考えましたが、前日にSさんのオカリナを聞いたとき、これは校歌しかないと思いました。そこで当校卒業生の方にお願いして楽譜を探して頂きました。結局、僕の即興演奏を2曲と、Sさんと一緒にアメイジンググレイス、そして集った方々と共に、3度、校歌を演奏させて頂きました。

鎮魂のための演奏であるし、僕自身は優しく奏でたほうがいいのではと思えました。ところが、2度目に演奏していたら、ふいに子供たちの笑い声がたくさん聞こえてきました。そして、一緒に歌い始めたのです。元気に力強く『もっと大きな音で弾いてよ』と言われているように思え、気付くと大音量で奏でている自分がいました。その声は他の方にも聞こえたと言われました。
遺族の方々の切実な想いがそうさせたのか、本当に子供たちの魂が集まってきて一緒に歌ってくれたのかは分かりません。しかし、少し曇がかかっていた空がしだいに晴れ、大きな月が夜空に輝いているのを見たとき、ここに集った方々の想いは、きっと彼らに届いている、きっと喜んでくれたに違いないと思いました。
しかし、現地の復興はまだまだです。
それほど被害が無かった内陸と沿岸部では大きな差がありますし、やはり現地に赴いて当地の方のお話を聞いてはじめて伝わってくるものがあります。自分など、ネットを通じて色々と情報を得ていたつもりでしたが、やはり現地に足を運んではじめて実感するものが大きかったです。
色々な話を聞くにつけ、もどかしい想いが湧いてくる事も多々ありました。
しかし、そんな中で、やはり当地に赴いて大川小学校周辺の地域でも心理的ケアをされてきたYさん曰く『それぞれ、自分の才能を活かして、自分なりのやり方でやるのがいい』との事でした。
先日話題になった東大の児玉龍彦先生も同じ事をおっしゃっていました。
僕には何ができたでしょう。
その場の空気を感じながら、祈りを込めて音楽を紡ぐ事。
ただ、それだけです。
小さな音の献花ですが、子供たちが天国へと帰ってゆく道を、ほんの少しでも照らせていたらいいなと思います。
そうして、また何度でもかの地に赴いて、再び音楽を捧げさせて頂きたいなと思っています。
震災からはじめてのお盆を迎え、被災された方の魂が、癒されます様に。
未だ見つからないたくさんの方の身体が、少しでも多く、遺族の方のもとに帰れます様に。
そして、残された方々の心の傷が癒えます様に。
心より、お祈り申し上げます。
合掌

大阪では子供たちへのソング(とうより音遊び)のワーク、宮城では飯塚ドラマスクールOBのメンバーと共にワークとパフォーマンスを子供たちへの文化支援の一環として。
中でも、震災以降、被災地へと赴くのは初めてでしたし、ネットを通じて感じていた事と現地の空気の中で感じる事とはきっと違うと思っていました。色々な事がありましたが、僕の中で一番大きかったのは11日の夜、石巻の大川小学校で音楽を捧げさせて頂いた事です。
長文ですが、自分自身の忘備録として書きます。
はじめ、飯塚ドラマスクールを主宰されているYさんからこのお話を頂いたとき、正直とても重いお役だと思いました。ライトアップニッポンという企画で、全国から義援金を募り、被災地の各所で慰霊の花火をあげるという事でしたが、大川小学校のあたりは壊滅的な被害にあっているので、インフラが整っておらず、当然電気も通っていない。花火をあげた後、暗い夜道を遺族の方々が帰って行かれる時があまりに寂しいので、そこで鎮魂の音楽を奏でて、皆さんが少しでも和んで帰れる様に演奏して欲しいといったお話でした。
ただ、3月11日以降、被災地の方々に何かできないか、自分なりの支援とは何だろうと考えつつも、なかなか具体的な行動に出る事ができないままで悶々としていたので、これは機会を与えて頂けたと、お受けしました。
僕たちを大川小学校へと案内して下さったのは、宮城でもともと支援学級の子供たちの心理カウンセラーをされているSさんという方でした。Sさんは震災直後からこの大川小学校の遺族の方々の心のケアにも取り組んでおられました。とても心のキャパシティーの大きな方で、僕はちょっとSさんの事を簡単に書けません、前日に秋保温泉の合宿所でオカリナでアメンジング・グレイスを吹いて下さった。大川小学校にも何度も赴いて、子供たちに向けてこの曲を吹いておられたという事でしたが、その音は胸の深い深い所まで響いて、感動というよりも、むしろその地に満ちている悲しみの想いや、失われた町の風景がありありと伝わってきました。

(途中に寄った東松島の中学校にて。津波の跡が2階の壁や窓に残っている)

(同じ学校の体育館。幸い生徒たちは無事だったが、卒業式の飾りがそのまま、大量の土砂とがれきが流れ込んでいる。)
Sさんの車に乗り、大川小学校への道すがら、かつてSさんが赴任していた学校や、現地の方々の置かれている状況や問題についてお話を聞きました。亡くなった子供たちと生き残った子供たち、遺族の葛藤、行政の不備...状況は時が傷を癒して、とは未だ言い難い。むしろ長期化するにつれでますます違った問題が生じて更に悪化しているようでさえありました。
そして、大川小学校への道は、多少整備されたとはいえあちこちにブルーシートがかかり、付近の家屋も半壊のまま放置、インフラ整備も行き届いていないという状況で、数日前に、やはり安全管理ができないという事で、ここでの花火が中止になってしまっていました。
必死でここでの花火を開催しようと頑張っていた遺族の方の落胆はそれは激しかったそうです。翌日の新聞を見れば、他の会場では花火があがったのに、大川小学校だけはできなかったのです。
そのかわりと言っては何ですが、僭越ながら、音楽だけ捧げに行かせて頂く事になりました。飯塚から音響機材を持ち込み、僕はシンセを、電源は車のシガーソケットからひいての急あつらえです。
ここで、何を奏でたらいいのだろうと、お話を頂いてから随分と考えましたが、前日にSさんのオカリナを聞いたとき、これは校歌しかないと思いました。そこで当校卒業生の方にお願いして楽譜を探して頂きました。結局、僕の即興演奏を2曲と、Sさんと一緒にアメイジンググレイス、そして集った方々と共に、3度、校歌を演奏させて頂きました。

鎮魂のための演奏であるし、僕自身は優しく奏でたほうがいいのではと思えました。ところが、2度目に演奏していたら、ふいに子供たちの笑い声がたくさん聞こえてきました。そして、一緒に歌い始めたのです。元気に力強く『もっと大きな音で弾いてよ』と言われているように思え、気付くと大音量で奏でている自分がいました。その声は他の方にも聞こえたと言われました。
遺族の方々の切実な想いがそうさせたのか、本当に子供たちの魂が集まってきて一緒に歌ってくれたのかは分かりません。しかし、少し曇がかかっていた空がしだいに晴れ、大きな月が夜空に輝いているのを見たとき、ここに集った方々の想いは、きっと彼らに届いている、きっと喜んでくれたに違いないと思いました。
しかし、現地の復興はまだまだです。
それほど被害が無かった内陸と沿岸部では大きな差がありますし、やはり現地に赴いて当地の方のお話を聞いてはじめて伝わってくるものがあります。自分など、ネットを通じて色々と情報を得ていたつもりでしたが、やはり現地に足を運んではじめて実感するものが大きかったです。
色々な話を聞くにつけ、もどかしい想いが湧いてくる事も多々ありました。
しかし、そんな中で、やはり当地に赴いて大川小学校周辺の地域でも心理的ケアをされてきたYさん曰く『それぞれ、自分の才能を活かして、自分なりのやり方でやるのがいい』との事でした。
先日話題になった東大の児玉龍彦先生も同じ事をおっしゃっていました。
僕には何ができたでしょう。
その場の空気を感じながら、祈りを込めて音楽を紡ぐ事。
ただ、それだけです。
小さな音の献花ですが、子供たちが天国へと帰ってゆく道を、ほんの少しでも照らせていたらいいなと思います。
そうして、また何度でもかの地に赴いて、再び音楽を捧げさせて頂きたいなと思っています。
震災からはじめてのお盆を迎え、被災された方の魂が、癒されます様に。
未だ見つからないたくさんの方の身体が、少しでも多く、遺族の方のもとに帰れます様に。
そして、残された方々の心の傷が癒えます様に。
心より、お祈り申し上げます。
合掌


喪中につき、恒例のご挨拶は致しませんが、皆様、これからもどうぞよろしくお願いし致します。
今年の山陰は大雪の被害で大変でした。幸いこのあたりは大した積雪はなかったのですが、年末年始と実家の尾道への帰省の際、54号線を通ったのですが(当初、雪を避けて高速を使おうと思っていたので、これは助かりました...)三刀屋から赤名を越えるあたりまではアイスバーンで、初めてチェーンを装着してゆるゆると雪道を走りました。
災難と言ってしまうとそれまでですが、途中の銀世界は目が覚めるようでしたし、たまたまBGMに持って行ったベートーベンの交響曲集は意外と雪山の風景にマッチして快適なドライブを楽しめました。
ところで、この休日中、普段やりたくてもやれなかった部屋の模様替えやら壊れた照明の修理やら、さては今後使用できる様に2階の納屋部を大掃除する事など色々とやっているのですが、こういう『気付いてはいるのに、やり残している事』の何と多い事か!という事に愕然。
僕は、比較的気付いたらすぐやってしまわないと眠れないようなタチで(言い換えるとこらえ性がないんですが...)割合、あまり先延ばしにならないように、依頼が来た仕事はすぐやるとか、そういう性分のはずでした。
が、いつしか『まあ、何とかなるさ...』と、どこかでネジが外れた、いや外したのかも?まるで、夏休みの最後で宿題の山に辟易する子供の様に、いつも何かと残している事が判明。
もちろん、目先の閉め切りがある仕事はきちんとこなしてはいるのですが、期限がない仕事や、家の補修、手紙の返事やHP更新など、色々な懸案事項が山積みに....
当然といえば当然なんですが、ちょっとした『やり残し分』が片付くと、その分ふっとココロが軽くなるんですよね。例えば、僕の部屋はスタジオ兼用ですが、機材の置き場がごちゃごちゃになっていたり、書類や楽譜が積ん読状態で放置されていたり、はたまた照明器具が壊れていたり..と散々でしたが、少しずつ整理されてゆくにつれ、ココロにゆとりができるというか、何だか気分が良くなってくる。
という事は、逆に言えば、こういう中途半端な状態を放置しておいた結果、どんどんココロに重荷になってきて、いつしかやる気もスピードも減退...という事になっていたのかも!?
という訳で、今年の目標は
『仕事を残さない!』(苦笑)
懸案事項というヤツをできるだけ消化し、ココロを軽やかにせねばと思っております。
そして、数年ぶりのアルバム制作。
これもずっと延びていましたが、色々アイデアを練りこんでいるので、今年中に必ず仕上げます!
乞うご期待!
それでは、皆様にとっても、軽やかな邁進の一年となりますよう!
ゆにわ 歌島
去る11月30日、尾道の祖母が亡くなりました。
享年87歳。
僕が覚えている限り、盲腸と網膜剥離があったくらいで、これといって大きな病気もなく、亡くなる直前まで普通に生活し、押し車を押して畑にも出ていたそうです。
亡くなる日の前日だけ、母親の介護を受け、当日の朝も自分でリンゴを食べ、まるで眠る様に静かに、向こう側の世界に旅立ってしまいました。
祖母の容態の変化の知らせを受けたのは亡くなる前日の昼過ぎ、父親からのメールでした。
翌日、見舞いに駆けつけようと家を出て間もなく、息を引き取ったという知らせ。
それまで、何の前触れもなかったために、僕の中でもあまりにも突然過ぎて、葬儀も滞り無く終えて、今こうして日記を書いていても、まだ正直実感が湧かないのです。
僕の一番古い記憶は、歌の海岸を祖母と散歩しているところから始まります。
トムとジェリーの型抜きのガムを買ってもらって、夕方の海岸を歩きながら食べていました。
『マー君、甘いもんばっかり食びょったら虫歯だらけになるど。』
そんな事を言われた記憶があります。
確か3歳頃の記憶ですから、祖母は50歳くらい。今の僕は、その頃の祖母と、すでに10歳くらいしか違わない年になってしまいました。
昔の祖母は、割合、古い田舎の因習に縛られていたように思います。
人目を異様に気にしたり、近所のうわさ話をしたり、理由もなくやってはいけない事があって、そこはテコでも動かない。幼い僕はしょっちゅうそんな祖母に反抗しました。
中学を卒業して福山に引っ越すまでの15年間、同じ家にずっと暮らしていましたが、僕は祖母にはとにかく我が儘の限りを尽くし、反抗し続けていました。
それからは盆と正月の僅かな時間だけ、何年も帰らない時もありました。
ここ10年くらいの間は、それでも年に一度は顔を見せには行っていたように思います。
いつしか、祖母も柔和になり、僕自身も色々と波に揉まれていくうちに、お互い穏やかに話ができるようになって、ここ数年は本当に優しく、時に少女のように笑う『可愛らしいおばあちゃん』になっていました。
近しい友人や知人の死は、今までにも何度も経験してきましたが、幼少時に一緒に暮らしていた家族の死というものは、実のところ初めてと言っていい経験で、特にこうして家を離れて暮らしている今となっては、祖母の死をどう受け止めたらいいのか、分からないでいます。
しかし、祖母の死に顔は本当に穏やかでした。死化粧をした祖母は奇麗で『あれ?おばあちゃん、こんなに美人だったかな?』と思ったほどでした。単に眠っているだけで、ふと目を開けて『マー君か?』と言い出しそうなくらい。
骨になって火葬場から出て来た時、ああ、これで本当に終わりだなと思いました。
帰る身体が無くなってしまった。
もう、おばあちゃんに触れる事はできないんだな、と。
今、思う事があります。
ちょっと変なんですけど、祖母があちらの世界に旅立って行ってしまった事で、『ちょっと遠い外国に家族がいるんだ。』みたいな気持ちが、いつからか湧いてきました。
向こう側と、こちら側が、繋がったとでもいうか。
不思議な気持ちです。
もう距離は関係ない。
どこにでもいるし、いつでも話す事ができる。
今となっては『ありがとう』しか出てきません。
『うるさいよ』とか『放っといて』なんて言いません。
おばあちゃん。ありがとう。
可愛がってくれて、ありがとう。
僕の身体は、4分の1、あなたです。
あなたの孫で、良かった。
今、本当に、そう思います。
享年87歳。
僕が覚えている限り、盲腸と網膜剥離があったくらいで、これといって大きな病気もなく、亡くなる直前まで普通に生活し、押し車を押して畑にも出ていたそうです。
亡くなる日の前日だけ、母親の介護を受け、当日の朝も自分でリンゴを食べ、まるで眠る様に静かに、向こう側の世界に旅立ってしまいました。
祖母の容態の変化の知らせを受けたのは亡くなる前日の昼過ぎ、父親からのメールでした。
翌日、見舞いに駆けつけようと家を出て間もなく、息を引き取ったという知らせ。
それまで、何の前触れもなかったために、僕の中でもあまりにも突然過ぎて、葬儀も滞り無く終えて、今こうして日記を書いていても、まだ正直実感が湧かないのです。
僕の一番古い記憶は、歌の海岸を祖母と散歩しているところから始まります。
トムとジェリーの型抜きのガムを買ってもらって、夕方の海岸を歩きながら食べていました。
『マー君、甘いもんばっかり食びょったら虫歯だらけになるど。』
そんな事を言われた記憶があります。
確か3歳頃の記憶ですから、祖母は50歳くらい。今の僕は、その頃の祖母と、すでに10歳くらいしか違わない年になってしまいました。
昔の祖母は、割合、古い田舎の因習に縛られていたように思います。
人目を異様に気にしたり、近所のうわさ話をしたり、理由もなくやってはいけない事があって、そこはテコでも動かない。幼い僕はしょっちゅうそんな祖母に反抗しました。
中学を卒業して福山に引っ越すまでの15年間、同じ家にずっと暮らしていましたが、僕は祖母にはとにかく我が儘の限りを尽くし、反抗し続けていました。
それからは盆と正月の僅かな時間だけ、何年も帰らない時もありました。
ここ10年くらいの間は、それでも年に一度は顔を見せには行っていたように思います。
いつしか、祖母も柔和になり、僕自身も色々と波に揉まれていくうちに、お互い穏やかに話ができるようになって、ここ数年は本当に優しく、時に少女のように笑う『可愛らしいおばあちゃん』になっていました。
近しい友人や知人の死は、今までにも何度も経験してきましたが、幼少時に一緒に暮らしていた家族の死というものは、実のところ初めてと言っていい経験で、特にこうして家を離れて暮らしている今となっては、祖母の死をどう受け止めたらいいのか、分からないでいます。
しかし、祖母の死に顔は本当に穏やかでした。死化粧をした祖母は奇麗で『あれ?おばあちゃん、こんなに美人だったかな?』と思ったほどでした。単に眠っているだけで、ふと目を開けて『マー君か?』と言い出しそうなくらい。
骨になって火葬場から出て来た時、ああ、これで本当に終わりだなと思いました。
帰る身体が無くなってしまった。
もう、おばあちゃんに触れる事はできないんだな、と。
今、思う事があります。
ちょっと変なんですけど、祖母があちらの世界に旅立って行ってしまった事で、『ちょっと遠い外国に家族がいるんだ。』みたいな気持ちが、いつからか湧いてきました。
向こう側と、こちら側が、繋がったとでもいうか。
不思議な気持ちです。
もう距離は関係ない。
どこにでもいるし、いつでも話す事ができる。
今となっては『ありがとう』しか出てきません。
『うるさいよ』とか『放っといて』なんて言いません。
おばあちゃん。ありがとう。
可愛がってくれて、ありがとう。
僕の身体は、4分の1、あなたです。
あなたの孫で、良かった。
今、本当に、そう思います。
昨日6月1日、世界的な舞踏家である大野一雄先生が逝去されました。
享年103歳、大往生だと思います。
先生を形容するのに、先生以外の言葉を使っても何の意味もない。
大野一雄
僕にとって、一生の心の師匠です。
先生の舞踏を見なかったら、今の僕はありません。
そして、細々とながらでも、今でも音楽に向き合って生きていけているのは、先生という存在があったからです。
時分の華を越えて、枯れ花にも美しさ、命がある。
生と死のはざま
ピアノの前に晒された老体。
その呼吸と心臓の拍動を見ているだけで、そこに息づいている激しいまでの命の表出を感じました。
一生かかっても、先生の影にすら追いつきそうもありません。
それでも、こんな僕にすら、先生の遺して下さったものは計り知れず大きいのです。
肉体を離れて
今はきっと天と地のはざまで
軽やかに踊っておられる事と思います
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
享年103歳、大往生だと思います。
先生を形容するのに、先生以外の言葉を使っても何の意味もない。
大野一雄
僕にとって、一生の心の師匠です。
先生の舞踏を見なかったら、今の僕はありません。
そして、細々とながらでも、今でも音楽に向き合って生きていけているのは、先生という存在があったからです。
時分の華を越えて、枯れ花にも美しさ、命がある。
生と死のはざま
ピアノの前に晒された老体。
その呼吸と心臓の拍動を見ているだけで、そこに息づいている激しいまでの命の表出を感じました。
一生かかっても、先生の影にすら追いつきそうもありません。
それでも、こんな僕にすら、先生の遺して下さったものは計り知れず大きいのです。
肉体を離れて
今はきっと天と地のはざまで
軽やかに踊っておられる事と思います
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
先ほど知って爆笑。
広島人にはたまらないプレゼンでしょう。
しかし...ニューヨークタイムズが中国新聞....
広島人にはたまらないプレゼンでしょう。
しかし...ニューヨークタイムズが中国新聞....
最近ちょっと自分の口臭が気になったりします。
自分では気付かないのに、他人のはよく分かったりする事もありますよね。
これも奥さんがゲットしてくれたのですが、アーユルヴェーダでは『舌苔』というのは毒素の固まりで、特に寝起きにこの舌苔を掃除するというのが健康にも良く、口臭予防にもなるという事。
これを掃除するのにとっても便利なのが
タン・スクレーパー

このワードで検索すると『郷ひろみさんも愛用!』なんてタタキで出ていますが、このプラスティック製のものと、インド製の針金を曲げただけみたいな感じのものなど、いろいろあります。
使い始めに一度鏡を見ながらやったのですが、もの凄い量でした。あまりのドロドロさにトラウマ化しそう....でも、その後口の中がスッキリしていい感じです。
のどは自律神経系のストレスが溜まりやすいところですし、放っておいても口内細菌やら何やらと舌の上には夜間にいろいろな毒素が滲み出してくるようですね。
道具を買わずとも、とりあえず歯磨きの時に舌も磨いてみるだけでも違うと思います。
ベジラーメン
菜食中心な食生活をしていると、ラーメン屋って遠のきます。昔大好きだったギトギトの豚骨ラーメンとか、記憶の中では食べたくなる事もあるのですが、体が受け付けなくなってしまっていて悲しい限り。
そんな中で春先は近くにある『ラーメン花月』さんがベジラーメンというスープも具材も野菜のみを使ったラーメンを期間限定メニューで出して下さるのがちょっとした楽しみです。この時期は同時にベジ餃子なるサイドメニューも加わるので、ラーメン屋で餃子セットという、いわゆる定番コースが食べられるのは有り難いです。
多少科学調味料の味はしますけど、ゆずの風味が効いてあっさりしておいしいですよ。
確か5月いっぱいまではやっているはずです。
トルコ音楽

ここのところは中東、アラブ、トルコの音楽にハマっています。
即興実験工房ゆにわでも書きましたが、トルコのカヌーンという楽器(写真)を購入。夜な夜な練習に励んでいます。
このあたりは言語は違えど楽器は同じ、しかし音楽はやはり微妙な違いがあり、聴き込んで行くとその微妙さがなかなか味わい深いです。
独特の微分音という半音よりも狭い音程を行き来するアラビアンナイトな音階も、聞き慣れてくるとすっかりできてくるようで、普通の平均率が物足りなく感じてしまいます。

今の一押しトルコ音楽はTaksim Trioというクラリネット、サズ(中東のギター?)カヌーンの三人組。トルコの伝統的なスタイルを踏襲しつつ、ジャズやフュージョン的な要素や他の民族音楽のエッセンスも取り入れつつラウンジ・ミュージックのようなオシャレ感に統一しているセンスは凄い。夜のドライブに最高です。
自分では気付かないのに、他人のはよく分かったりする事もありますよね。
これも奥さんがゲットしてくれたのですが、アーユルヴェーダでは『舌苔』というのは毒素の固まりで、特に寝起きにこの舌苔を掃除するというのが健康にも良く、口臭予防にもなるという事。
これを掃除するのにとっても便利なのが
タン・スクレーパー

このワードで検索すると『郷ひろみさんも愛用!』なんてタタキで出ていますが、このプラスティック製のものと、インド製の針金を曲げただけみたいな感じのものなど、いろいろあります。
使い始めに一度鏡を見ながらやったのですが、もの凄い量でした。あまりのドロドロさにトラウマ化しそう....でも、その後口の中がスッキリしていい感じです。
のどは自律神経系のストレスが溜まりやすいところですし、放っておいても口内細菌やら何やらと舌の上には夜間にいろいろな毒素が滲み出してくるようですね。
道具を買わずとも、とりあえず歯磨きの時に舌も磨いてみるだけでも違うと思います。
ベジラーメン
菜食中心な食生活をしていると、ラーメン屋って遠のきます。昔大好きだったギトギトの豚骨ラーメンとか、記憶の中では食べたくなる事もあるのですが、体が受け付けなくなってしまっていて悲しい限り。
そんな中で春先は近くにある『ラーメン花月』さんがベジラーメンというスープも具材も野菜のみを使ったラーメンを期間限定メニューで出して下さるのがちょっとした楽しみです。この時期は同時にベジ餃子なるサイドメニューも加わるので、ラーメン屋で餃子セットという、いわゆる定番コースが食べられるのは有り難いです。
多少科学調味料の味はしますけど、ゆずの風味が効いてあっさりしておいしいですよ。
確か5月いっぱいまではやっているはずです。
トルコ音楽

ここのところは中東、アラブ、トルコの音楽にハマっています。
即興実験工房ゆにわでも書きましたが、トルコのカヌーンという楽器(写真)を購入。夜な夜な練習に励んでいます。
このあたりは言語は違えど楽器は同じ、しかし音楽はやはり微妙な違いがあり、聴き込んで行くとその微妙さがなかなか味わい深いです。
独特の微分音という半音よりも狭い音程を行き来するアラビアンナイトな音階も、聞き慣れてくるとすっかりできてくるようで、普通の平均率が物足りなく感じてしまいます。

今の一押しトルコ音楽はTaksim Trioというクラリネット、サズ(中東のギター?)カヌーンの三人組。トルコの伝統的なスタイルを踏襲しつつ、ジャズやフュージョン的な要素や他の民族音楽のエッセンスも取り入れつつラウンジ・ミュージックのようなオシャレ感に統一しているセンスは凄い。夜のドライブに最高です。
最近は友人にtwitterに誘われて、あの2行足らずをボソッとやるのに慣れてしまって、なかなかブログを書けていませんでした。
ので、今日はここのところの近況報告。

我が家のシクラメン。他ではとうに枯れてしまっていたりするらしいですが、未だ満開続行中。
うちの縁側はシクラメン生育に向いているのか、去年は最後の花が落ちたのが9月頭でした。その子がまた再び新芽を出したのが左の鉢、かなり咲いてます。
時々はお酒も...
加賀の名酒”常きげん”

先月だったか、たまたま見たNHKで紹介されていた能登の杜氏、農口尚彦氏の作るお酒『常きげん』農口杜氏の出で立ち、語り口が何ともいい感じで、いつか白山参拝を兼ねて寄ってみようかと思いきや、今年で引退するかも?というような話。おまけに自分的には非常に強い縁を感じている白山の麓で作られていると聞いては、ならば少しだけでもご相伴にあずかろうと3種類ほど注文。
左から順に高級になりますが、右は金賞受賞の大吟醸との事で、早速テイスティング。
ふくよかでまろみのある深い味わいのお酒、とてもガブガブやるようなお酒でなく、おちょこにちょびっとづつ味わって飲むような感じですね。金賞の大吟醸はちょっと逸品、口に含むとフワーッと広がる甘さの中で一粒一粒のお米が皆喜んでるみたいな不思議なお酒。匠の入魂、感じさせて頂きました。
フォーカシング
フォーカシングという心理療法を施術に加えるようになりました。
今ある体感を元に、自身の深層心理と対話してゆく、不思議で心地よいセラピーです。
今はまだ、表層のレベルですが、施術中にクライアントさんご自身に自分自身の体感についてフォーカスして頂きながら施術してゆくといったサワリ部分を取り入れているのみですが、目に見えてとても大きな変化が次々と起こっています。
目下更なる理解と経験を深めるべく勉強中。
フォーカシングについては、別記事でまた書く予定です。
インド目薬

ここのところ奥さんがセルフケアのためにとアーユルヴェーダ製品などを色々取り寄せては試してます。ミネラル豊富なヒマラヤの食べれる腐葉土とか、万病に効くハーブティーとか、色々ありますけど、今のところのヒットはなんと目薬。
左からトリファラジャン、ネトラムリタム、カトラミデ。
インドの目薬は結構強烈、トリファラジャンとカトラミデはかなり効き、点眼後1〜2分は目が明けられません(笑)しかし、その後が爽快。パソコンなどでの疲れ目がフワーッと癒されていい感じです。ネトラムリタムはあまり染みませんが、チンキのような感じで目が真っ赤になったあと、何ともいえない目の周りのまったり感が格別です。
インドの目薬は蜂蜜が入っていたりして、ちょこっとベタつくのですが、連続使用しての目の調子の良さは今まで使ってた目薬とは雲泥の差です。お試しあれ。
ので、今日はここのところの近況報告。

我が家のシクラメン。他ではとうに枯れてしまっていたりするらしいですが、未だ満開続行中。
うちの縁側はシクラメン生育に向いているのか、去年は最後の花が落ちたのが9月頭でした。その子がまた再び新芽を出したのが左の鉢、かなり咲いてます。
時々はお酒も...
加賀の名酒”常きげん”

先月だったか、たまたま見たNHKで紹介されていた能登の杜氏、農口尚彦氏の作るお酒『常きげん』農口杜氏の出で立ち、語り口が何ともいい感じで、いつか白山参拝を兼ねて寄ってみようかと思いきや、今年で引退するかも?というような話。おまけに自分的には非常に強い縁を感じている白山の麓で作られていると聞いては、ならば少しだけでもご相伴にあずかろうと3種類ほど注文。
左から順に高級になりますが、右は金賞受賞の大吟醸との事で、早速テイスティング。
ふくよかでまろみのある深い味わいのお酒、とてもガブガブやるようなお酒でなく、おちょこにちょびっとづつ味わって飲むような感じですね。金賞の大吟醸はちょっと逸品、口に含むとフワーッと広がる甘さの中で一粒一粒のお米が皆喜んでるみたいな不思議なお酒。匠の入魂、感じさせて頂きました。
フォーカシング
フォーカシングという心理療法を施術に加えるようになりました。
今ある体感を元に、自身の深層心理と対話してゆく、不思議で心地よいセラピーです。
今はまだ、表層のレベルですが、施術中にクライアントさんご自身に自分自身の体感についてフォーカスして頂きながら施術してゆくといったサワリ部分を取り入れているのみですが、目に見えてとても大きな変化が次々と起こっています。
目下更なる理解と経験を深めるべく勉強中。
フォーカシングについては、別記事でまた書く予定です。
インド目薬

ここのところ奥さんがセルフケアのためにとアーユルヴェーダ製品などを色々取り寄せては試してます。ミネラル豊富なヒマラヤの食べれる腐葉土とか、万病に効くハーブティーとか、色々ありますけど、今のところのヒットはなんと目薬。
左からトリファラジャン、ネトラムリタム、カトラミデ。
インドの目薬は結構強烈、トリファラジャンとカトラミデはかなり効き、点眼後1〜2分は目が明けられません(笑)しかし、その後が爽快。パソコンなどでの疲れ目がフワーッと癒されていい感じです。ネトラムリタムはあまり染みませんが、チンキのような感じで目が真っ赤になったあと、何ともいえない目の周りのまったり感が格別です。
インドの目薬は蜂蜜が入っていたりして、ちょこっとベタつくのですが、連続使用しての目の調子の良さは今まで使ってた目薬とは雲泥の差です。お試しあれ。
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