ゆにわのうたひ

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カテゴリ:かむながら( 10 )

神迎え 2009

毎年観光客が増えつつある神迎え神事。
最近はあまりに人が多いので何となく敬遠しがちだったのですが、今年はふいに行きたくなって先ほど、行ってきました。
だいたい神迎えの日は午前中は荒れ模様で午後から晴れるパターンが多いのですが、今年は意外にもポカポカ陽気の晴天。お陰で寒さが厳しくなく、薄着で充分でした。

とはいえ、稲佐の浜での御神事はおそらく大人数であろう事が予想されたので、八百万の神様方が最初にお着きになる神楽殿へ直行しました。
数年前に来た時には、浜から来た神様の行列に付いていって、そのまま神楽殿に入っていけたのですが、今年はさすがに多い。7時半頃に着いたら既に前の方は埋まっていて、真ん中の神様の通り道のところに白い布が引いてありますが、その周りもほとんど埋まっていて、かろうじて数人分空いていた所があったので、そこに座って神様の到着を待ちました。
神迎えには何度も行きましたが、このシチュエーションは初めてでした。

2〜30分は待ったでしょうか?まず浜の神事を終えた神主さんが到着、神様の到着を前に祝詞の奏上、お祓いなどがあり、その後、神様のお部屋を整えておられました。
その後、にわかに灯りが消え、暗闇の中、かすかに遠くから聴こえる笛の音。
神楽殿の中でも神楽の演奏が始まり、しだいにそれが混じり合ってゆくと、ふっと行列を先導した提灯が二つ現れ、次いで白い布に覆われた八百万の神様の到着。
布が左右に分かれ、神様をお連れした神職の方々が目の前の白布を横切ってゆく時には、自然と手を合わせている自分がいました。
ほのかに照らされた神様の座、龍蛇様とひもろぎが鎮座してゆく様をボーッと眺めていると、静かな暗闇の中で、まるで金色の胎内に大切な物を納めているようにも見えました、この感覚は、なかなか言葉になりません。
行為をただ描写すれば、榊とウミヘビを持って神棚に上げているという程度の事なのですが、何かそういう事ではない『何か』を、神迎えではいつも感じさせられます。いや、もっと大社にはお参りしなきゃ....

残念ながら例によって撮影の類いは一切禁止でしたので、写真はアップできませんが、出雲の神迎え神事、確かに一見の価値があると思います。
神様はこの後十九社に移り、12月3日の4時までおられます。(日付が間違ってましたので、訂正しました)

神在月の行事次第はこちら
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by yuniwauta | 2009-11-27 00:10 | かむながら

奉祝の日々

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去る4月20日に、出雲大社の60年ぶりの遷宮があり、俄に近隣が盛り上がっています。
こちらの町内では『奉祝』の期間として20日から24日まで軒下に奉祝の提灯を飾り、夜通し灯します。といっても、中身は電池なんですけどね...
今日はお休みにしていたので、本殿の参拝に行ってきました。
普段は手前のお庭までしか入れませんが、遷宮で大神様がいらっしゃらないので、本殿の入り口まで上がれる貴重な機会という事で沢山の人だかり。はじめ並んだら1時間半待ちなんて言われたので、一旦家に帰り2時頃もう一度出直したら30分くらいで入れました。
写真が撮れないのが残念ですが、天井の八雲図や本殿の中の様子が見れて感慨ひとしお。
人の手に触れられる事無く清らかさを保っている本殿の氣は素晴らしかったです。

その後、神苑にて奉祝の奉納演奏で雅楽をやっていました。
実のところ、雅楽を生で聴くのは初めて。やはり思っていた通り、雲のようにたなびく竜笛と笙の高倍音、篳篥の劈くようなメロディ、時を刻々と刻む鼓群のリズム。
最前列で聴いていましたが、やはり場が晴れるというか...強烈な高域で脳天がシビレそうになりました。

しばらく雅楽に浸ってから、帰り道に抹茶の振る舞い。
お茶菓子とお抹茶を頂きつつボーッとして、何ともめでたい気分で家路につきました。
この後、一般参拝の日程は

4月21日〜23日
4月26日〜5月6日
5月13日〜18日
8月1日〜17日

となっています。
連休中はトンでもない事になっていそうですが、めったにない機会ですので、一度参拝される事をお勧めします!
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by yuniwauta | 2008-04-22 20:33 | かむながら

神帰る

4月に我が家の裏にある『命主社』の遷宮があった。
おおよそ50年ぶりの遷宮だったが、偶然僕が町内の班長年に当たっていた御陰で、御神体を運ぶ行列の中で御物の大榊を担ぐ役をさせてもらったりした。
神様のいなくなったお社は何となくガランとして、作業のための足場が組まれて立ち入り禁止になっていて、ちょっと寂しい感じがしていたものだった。
そうして、昨日、ようやくお社の葺き替えも終わり、正遷宮、つまり神様のご帰還の御神事があった。(写真は今朝の例祭の時のお社。扉が開くのは一年でこの日だけ。)
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夜7時、命主の御神体が祀られている出雲大社の東十九社の前に、真名井町内の方々や巫女さん(?)神社関係の諸氏、そこに30人くらいの神主、両国造家と蒼々たる面子。
先の遷宮の時と同じように式次第は流れていったのだが、今回は担ぎ手のお役ではなかったので、緊張せずに遠巻きに流れを見る事ができた。

白い布に覆われて『おーーーっ!』という警蹕とともに御神体が動き始めると、やはり何だか背筋がゾクゾクする感じがした、目の前を御神体が過ぎるときは、何とも形容のし難いズ〜ンとくる巨大なものが通り過ぎる感があった。

御神体とは何なのか?
神道のいう所の『神』とは何なのか?
頭の中は、そんな事ばかり考えていた。

御神体が動き始めたら、途端に小雨が降り始めた。
出雲では、『神が動く時は(天気が)荒れる』とよく言われるが、まさしくその通り。
大社から命主社までの道中も強風と雨、御鎮座する頃には雨脚が次第に強くなり、その後は暴風雨に雷と朝まで大荒れの天気。

しかし凄まじかったのは、その神氣というか...エネルギーだった。
御神事の間も、何とも言えない神社の氣を感じてはいたのだけれど、神様が鎮座してから家に帰ると、家の様子が全く違っている。
まさに『神帰る』とでも言おうか。
あまりの強い神氣と暴風雨と雷の御陰で、神経が高ぶって朝までほとんど眠れなかった。

さて今月末にはまた神迎え祭がある。
今年は30日午後7時より、稲佐の浜にて...
12月近いので、かなり寒そうな予感がするが、さてどうだろう。
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by yuniwauta | 2006-11-08 00:10 | かむながら

「ゆにわ」の意味

よく初めて来られたお客さんから「ゆにわ」ってどういう意味ですか?と聞かれます。
一応HPにも書いていますが、「ゆにわ」とは「斎庭」「斎場」を表す古語で、おおよそ「神様を祀る為に清められた場所」という意味になります。

東京からこの家に引っ越して来るにあたって、一つの大きな決め手になったのはこの家の裏にある「命主社」で、ここにあるムクの巨木と神社の氣に惹かれてこの地に来たと言っても過言ではありません。
そして、この家の敷地が太古にはこの命主社の「ゆにわ」であったのではないか?という事で、場所にちなんで「ゆにわ」と名付けました。

はじめてこの言葉を聞いた時、「ゆにわ=UNIVERSE」という風にも聞こえ、「神様に降臨して頂くために清められた場所」という意味が僕自身の思う整体の概念と同じでしたので、今でもとても気に入っている名前です。

ところで去る9月1日、北島国造家の御当主さまがお亡くなりになりました。
この辺りの方は「御殿(ごてん)様」とか、「お殿様」と呼んでいる方です。
僕は詳しくないですが、地元の方はこの方の奥様の事は「姫君様」(もう既に亡くなられました)お子さんは「若様」と呼んでいます。
今日はその葬儀で、僕みたいな者でも一応同じ町内なので葬儀に出席させて頂きました。

今日は凄くいい天気だったので、ずっと立ちっぱなしの1時間半はちと難儀でしたが...弔辞の名前には天皇皇后両陛下や伊勢神宮宮司を始めとする重鎮の方々の名前....
「何でまた自分みたいなのがこんな偉い人の葬式に出てるんだろうか.....?」
と、ちょっとした役得感に浸りながらも、頭は熱気に溶けていくのでした...

ここに来て、神式の葬儀には何度か立ち会わせて頂きましたが、いつも思うのはここの儀式はとても地味だと言う事。
派手な演出や、きらびやかな感じは一切なくて、ただ静かに礼、玉串奉奠、弔辞...
いつもの拝礼の4拍手は形だけで打ち鳴らしませんし、笛太鼓もギリギリ音が出る程度の微かな音で演奏します。

「幽世(かくりよ)の大神(おおかみ)、憐れみ給ひ、恵み給え。
幸御霊、奇御霊(さきみたま、くしみたま)守り給ひ、幸(さき)はえ給え。」

でも、この静けさ、いるうちに次第に慣れだんだん心地よくなって来ました。

今日はこんな事でお昼からたくさんの参列者の方が来られていましたが、ちょっとうっかりしていたのがうちの看板を出しっ放しにしていた事。
遠方から来られた参列者の中には、当然神社関係者の方も多く「ゆにわ」という意味もご存知だったんですね。

そろそろ葬儀に行かねばと着替えていると、何故か家の門前に喪服のお父さん方が何人もおられる。
「はて?」と思ったのですが....皆さん、ここが参列者の受付か何かだと思われたんですね?
そのうち、「ここじゃない」と思われたのか自然に去って行かれましたけど....

確かにヒーリングミュージックなんかがかかっていて、お香の香りが漂っているんで、ちょっとそれっぽかったんでしょうかね〜?
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by yuniwauta | 2005-09-09 21:12 | かむながら

出雲大社考  (その三)

沖縄地方には、魂は海からやってきて海に帰るという信仰がある地域が多い。
黄泉の国は海の彼方にあり、これをニライカナイと呼んでいる。

これが、かつて太平洋上に存在したといわれるムー大陸の記憶のなせるものか否かは定かでないが、バリ島のガムランに見られる音階と琉球音階が同じレラ抜き音階である事や、風習、言語などの近似から、文化的つながりがある事だけは容易に推察できる。

沖縄地方にはウタキと呼ばれる祭祀場があって、神の声を聞く事ができるシャーマン
に連れられてこの土地に入り、何らかの祈祷や祭祀を行っているらしい。
ウタキには特別な建物やお社のようなものはなく、ただ祭祀を行う際に火を焚いたり供物を置くための小振りな石台が2、3置いてあるだけだ。
これは、古代の神道の祭祀と同じである。
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そうして近年与那国島近海で発見された海底遺跡はムーの残滓か、はたまた自然のいたずらか論議の別れる所のようだが、どうも人工物であるとの意見が優勢のようだ。
僕自身は人工物であると感じている。
(レイキ2以降を受講されている方は遠隔で「与那国島海底遺跡」と書いて、ちょっと感じを見て下さい。)

これがもしかつての都市であったとするならば、何らかの地殻変動のような事が起こって海底に没したに違いない。ならば与那国島以外にも未発見の遺構がたくさんあるはずだ。
そして生き残った者達が、かつての土地を忍んで海に祈りを捧げた。
それがニライカナイ信仰の元になったのではなのではないかと思う。

ちなみにムー大陸については、このコラムでちょっと引き合いに出した偽書の悪名高い「竹内文書」では「ミヨイ・タミアラ」という名で呼ばれている。
「ミヨイ・タミアラ」    「ニライカナイ」
何となく似ていなくもないが、さてどうだろう?

海の彼方に黄泉の国、もしくはあの世的な天国を垣間みた信仰は沖縄だけではない。
実はかつての出雲大社も、もともとそういう信仰を元にした神社だったのではないか?
そうして、もう一つ有名な厳島神社。
海に鳥居を立てる。
普通鳥居は神様の通路と言われる。
ならば、神は海から来ることになる。
海から神を招き入れる出雲大社、神が海から入る厳島神社、そして沖縄のニライカナイ信仰。
これらには何か共通するものがあるように感じる。

その背後にある事実とはなにか!?

まるで昔の「木曜スペシャル」のような占めですが。

とりあえず<第一部終>
また気が向いたら第二部をはじめます。
(あくまで想像の遊びですので、ご了承下さいね)
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by yuniwauta | 2005-03-09 20:01 | かむながら

出雲大社考  (そのニ)

昨日は神迎えで八百万の神を誘ってくるわだつみの神とはスサノヲの事ではないかという話まで書いた。

ある説によると、スサノヲという呼称は神話では一人の猛者神として書かれているが実際には日本から世界中を巡る航海術を持った海洋民族集団の事でもあったという。
つまり、古代出雲王朝時代にはここが港のような中心地で、世界中の王国からの使者たちがスサノヲ族に連れられて一年に一度この地にやってきていた。
それの名残が今の神迎え神事なのではないか?という説だ。
これが実際に世界中なのか、日本全国と言う意味での”世界”なのかは定かでない。
竹内文書などでは文字通り”世界”であると言っているが、しかし重要なのは、この地が当時何らかの中心をなす場所であったということだ。

古代出雲王朝時代の日本は、どのような場所だったのだろうか?

近くの荒神谷遺跡からは数百本の銅剣や銅鐸などが出土したし、他にも各所から青銅製品が出土している。
これらは皆古代出雲王朝時代のものとされているが、妙なのは武具にしては青銅製品というのは柔らかすぎるという事。
つまり実際の戦闘に使われたのではなく、祭祀に用いられたのではないか?というのが通説だ。

そこに大和朝廷は圧倒的な”戦力”でもって侵攻してきた。
戦う事を知らない古代の人々はあっけなく敗れ、国譲りをさせられてしまう。

戦いもなく、ただ祈りと共に過ごしている人々。
さぞかし、平和な世界だったに違いない。
東南アジアや沖縄地方の島人たちには未だにこういうところがある。
そういえば、ウミヘビを神聖視するのは全国でも沖縄地方と出雲だけだという話を聞いた。
                                                                             <続>
   
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by yuniwauta | 2005-03-08 20:56 | かむながら

出雲大社考  (その一)

前々から何となく思っている、出雲大社についてのあれこれ。
あくまでも勝手な自説なので証拠文献などは一切ないけれど、あくまで想像の遊びとして何回かシリーズで書いてみようと思う。

出雲大社は大国主命を祭神とする神社だが、本殿裏には素鵞社(そがのやしろ)というスサノヲを祭神とする摂社がある。
スサノヲは大国主のご先祖にあたり、素鵞社の裏には大きな岩肌があり信仰の対象になっている。
実際にはこの岩のある山全体がご神体として信仰されているので、その真下に祀られているスサノヲこそが、出雲大社の祭神であるといえるようにも思う。

数年前に出雲大社本殿前の庭から巨大な3本柱の遺構と思しきものが出土し、神話の範疇でしか語られ得なかった「高さ十六丈(48メートル)、天下無双の大廈」という話も現実味を帯びてきている。
今ですらこのような巨大な木造建築は難しいと言われるのに、当時人力のみでこれを建てたとなると凄いパワーである。
それとも、これも「言霊(音)の力(2/24付『アムピーオーンの竪琴』参照のこと)」によって建てられたのか?

それはともかく、当時の出雲大社は海に面していた。
現在は「神迎え神事」を行う稲佐の浜までやく1キロほど距離があるが、当時の記録では本殿のすぐ近くが海岸線だったようだ。
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この絵を見ると海岸から長いスロープを昇って本殿に入るという感じが良く分かる。

このような高い場所に神を祀るという形はシュメールでジッグラトと呼ばれる空中神殿などにも見られるが、この場合は明らかに神殿は宇宙からの使者(メッセージ)を受け止める為に高い位置に神殿を置いている。
しかし出雲の場合は神迎え神事に見られるように、八百万の神を海から迎える。
この神々の先頭を行くのはウミヘビを依りしろとしたわだつみの神、つまり海神である。

古事記ではスサノヲはわだつみの神である。
そして、素鵞社の回りには海の砂が敷き詰めてある。
ウミヘビ(龍)として神々を誘ってくる海神とは実はスサノヲの事なのではないだろうか?
<続>
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by yuniwauta | 2005-03-08 00:15 | かむながら

言霊 マントラ

現代の日本に、言霊って、本当に生きているのだろうか?
そう思って、ふと考えてみた。

言霊というのは、言葉の持つ意味も含むが、それ以上に何か見えないパワーを醸し出すような「ことば」のことではないかと思っている。

確かにそんなに大げさな定義をしなくても、誰かに「ありがとう」とか、「愛しています」とか言ってみると気分がいいし、こうした言葉を書いた紙を水の入った瓶に貼付けると、中の水の波動が変化するらしい。その証拠にその水を氷点結晶させると貼付ける言葉によって結晶構造がかわるのだ。

ならば、言葉なら何でも言霊じゃないか?とも思う。
だが、やはりそれ以外に、ある積極的な理由を持って話される言葉、というのが存在するように思う、「マントラ」というのがそれだ。

例えばレイキでも4つの「シンボル」と、それに付属した「マントラ」というのがある。これを組み合わせる事によってエネルギーをある方向や時間軸に流したり、エネルギーの質を変化させたりするのだ。ここで使われる言葉は日常会話的な言葉ではないが、言葉を唱えることによって、ある特定の効果をもたらす、いわば呪文であることには違いない。

こうしたものは、例えば祝詞とかお経とか、宗教的なものと結びついているものの中には容易に見つける事ができる。「あわのうた」や「ひふみ」もそうだし、「オンアビラウンケンソワカ...」といった真言などもそうだ。

そうした呪文のようなものは世界各地にあるが、これには一つの源流があるように思う。

「ヒマラヤ」だ。

ヒマラヤにはサンスクリットという、ある種の儀礼、特に「マントラ」としてしか口にされない言語がある。神聖語とでも言うべきか....この言葉は日常会話には使用されない、特別に聖別された言葉だ。先の「オンアビラ.....」という真言のもとは、このサンスクリットで、はじめの「オン」というのはサンスクリットの宇宙音「オーム」の事だったりする。ちなみにキリスト教の「アーメン」も「オーム」が転化したものなのだという。

レイキも、その源流はサンスクリットの文書に書かれていた、と言われている。

「言霊」というと、何となく日本独自のもののようだが、実はこうした「ヒマラヤ」の伝統が日本に流れてきて定着したなのかもしれない。

そういえば、天皇家のルーツは高句麗、百済などではなく、ヒマラヤの東麓の民族だという説が割合濃厚であると聞いた。
言霊の語彙のなかでは大和言葉、雅語といったところにこそ言霊があると言われるが、これは大和朝廷、つまり天皇家がヒマラヤの文化としての「マントラ」をこの国に持ち込み、これが日本の風土の中で撹拌されて「言霊信仰」という風に変化していった経緯を表しているのではないかとも考えられる。

僕自身は2年前から瞑想を始めた。
この瞑想はマントラ瞑想と呼ばれるもので、個人個人に合わせてグル(導師)から伝授されたマントラを、口に出さずに心の中で唱え続けることによって瞑想に入っていく、というものだ。
実際に、こうして伝授を受けるまではよく分からなかったが、続けていくうちに、このマントラに宿るパワーのようなものが実感として感じられるようになった。
そうして、これが本来の言霊というものなのではないか?と思うようになったのだ。
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by yuniwauta | 2005-02-12 23:55 | かむながら

あわのうた (2)

「あわのうた」を作ってからというもの、何か不思議なチカラに引かれるように、あちこちへと招かれて演奏をさせて頂くようになった。

そんな折、何度となく「あわのうた」を祝詞として奉納する、という機会があった。
これは「言霊」ということの本来の意味なのだ。

コトバをある並びで唱えることによって特定の波動が発せられる....もちろん唱える側の意識が明確でなければならないのは言うまでもないとしても、こうした歌が、何かしらのチカラを持っていることは確かだろう。「秀真伝」の中では、こうした歌(言霊)のチカラによって稲に付く虫を退治したり、上から読んでも下から読んでも同じになる「回り歌」というのを求婚者に送って、相手が返し歌を作る事ができず見事にゴールイン!という話もある。

あわのうたと同様に48の文字を歌にしてあるものは他にもいくつかあるが、中でも有名なのは「ひふみ祝詞」だろう。

「ひふみ祝詞」
ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせゑほ れけ(ん)

一説によればこの「ひふみ」が「火」、「あわのうた」が「水」を表し。このふたつを合わせて唱えることによって陰陽が整うとも言われている。また「あわのうた」の「あ」は「天」を「わ」は「地」を表し、「あわのうた」は「天地を繋ぐ歌」という意味でもあるそうだ。

とまれ、このような知識はともかく、歌ってみるのが一番いい。私が実際やってみた経験では、「あわのうた」は「あーかーはーなーまー(あ行)いーきーひーにーみー(い行)......」といった風に、同じ母音が連続するので非常に歌いやすく、しばらく歌っているとのどが開いてきて確かに声の出がよくなる。ちょっと不思議な響きだが、ヴォイストレーニング等に加えても良い。

そして何故か、ずっと歌っていると何となく和やかな気持ちになってくる。これが「言霊」のチカラなのか、単なる気分なのかはともかくなんとも心地よい。

一体いつ誰が、このような歌を作ったのだろう?
謎は深まるばかりである。
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by yuniwauta | 2005-01-31 15:05 | かむながら

あわのうた (1)

「秀真伝(ホツマツタヱ)」という古文書がある。
一説によれば偽書、はたまた縄文中期の貴重な文献で古事記のもとになった書物とも言われる。

私がこの書物に興味を抱いたきっかけは、巫女の友人の家に遊びに行った時の事。
机の上にあった「言霊〜ホツマ/鳥居 礼 著」のページを、何気なくめくっていると「葛垣打琴(かだがきうちのこと)」という文字が飛び込んで来た。そこではたと思い当たる事があり、しばらく呆然となってしまった。

というのも僕自身、何年か前のファッションショーのイベントで音楽を担当した際に、たまたま和的な音が欲しいというオファーを受けて、普通の十三弦を太めの菜箸で叩くというスタイルで演奏した事があった。以降これが定番となって「琴を叩く=打琴」というのが、僕にとってのキーワードになっていたのだ。あくまで思いつきの事...と思っていたのに、実は古くからある奏法で、出雲大社では琴のボディーだけのものをバチで打つというものもあるという。

そんな事で、すっかりこの書物に心を奪われて、完訳本まで手に入れて読みあさった。
そこで出会ったのが「あわのうた」だった。

「あわのうた」
アカハナマ  イキヒニミウク
フヌムエケ  ヘネメオコホノ
モトロソヨ  ヲテレセヱツル
スユンチリ  シヰタラサヤワ

この57調の48音の歌だが、いろはうたと同じように言葉を覚えるのに使われたらしい。
面白いのがこの歌を琴の音に合わせて歌うと「五臟六腑が整い、声が明るくなる」と言われていること。少なからず医術に関わる者としては試さないでおく手はない。

そんな思考錯誤の中で生まれたのがCD「あわのうた」だ。
この作品を作った頃、各地の神社での奉納やライブでこの歌をお客さん達と歌ったが、いつも会場の空気がスーッと澄んでいくのが分かった。もちろん皆で声を出すという行為のお陰でもあるが、合唱練習をしたからといってこうはならない、やはりこの歌に宿る「言霊」のなせるわざではないかと思っている。余談だがDJをしている友人は、地下室の濃密な空気の中でプレイしたとき、会場の空気があまりに重いので試しにこのCDをかけてみたら、スーッと場の空気が晴れたという話をしてくれた。

今現在、ことばに対する感性は、例えば「水からのメッセージ」のように、波動結晶という目に見える形で認識されつつあるとは思うけれど、実際の感性自体は「コトダマ」という言葉の流布ほどには浸透していないように思える。

いにしえの日本人が、どんな風に「ことば」そのものにマジカルなパワーを感じていたのか...

興味のつきぬところである。
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by yuniwauta | 2005-01-30 22:50 | かむながら

ゆにわ主宰          歌島のひとりごと 


by yuniwauta
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