ゆにわのうたひ

yuniwa.exblog.jp ブログトップ

カテゴリ:おとだま紀行( 36 )

新譜 『GALUMAN WORKS』 本日発売!

c0037400_22181779.jpg

1995年から96年にかけて、僕たちは『ガルマン』というユニットネームで活動していました。
コンセプトは『地球の民族音楽』
これらの楽曲は、もう10年近く前の作品ですが、あわやメジャー・リリースというところまで行きつつも諸般の事情から長い事お蔵入りになっていました。

このアルバムは、ユニワーズ(UNI-WORDS)と称する架空言語で歌われている、どこの国でもない、でもどこか懐かしいようなサウンドを追求した14の作品集、いわばベスト盤です。
自分たちにとってもお気に入りの曲ばかりで、やはり少しでも多くの方に聴いてもらいたいなと思い、CD化する事にしました。(旧作品のため、1部マスターテープに起因する多少のノイズがあるものがありますが、ご了承下さい。)

特定の意味を持たない言語を用いる事によって、歌ものであってもむしろインストルメンタルのように音楽そのものを体験し、聴く人がそれぞれに自由なイマジネーションやストーリーを構築して欲しいという想いで作りました。(14 『月』のみ、日本語の歌詞が付いています。)
『あなたの心が、この音楽の言葉になりますように』がテーマでした。

HPの方で何曲か試聴もできるようにしてあります。
少しでも多くの方に聴いて頂けたら嬉しいです。

ゆにわのHPはこちら
ご注文はメールにて、お願いします。
[PR]
by yuniwauta | 2006-09-11 22:33 | おとだま紀行

聴覚の個人差

最近我が家に可愛い機械が登場しています。
その名もタンプーラマシン

インド音楽などを聞くと、歌や楽器のバックでビヨ〜ンと鳴り続けている楽器がタンプーラです。
ずっと持続音(ドローン)を奏で続ける楽器なので、僕ははじめこれはオルガンのようなリード楽器かと思っていました。しかし実際には4〜5本の弦が張ってあるギターよりも大きな弦楽器で、弦の端のところにジャワリという弦の振動をビビらせる(こんな表現でいいのかな?)ところがあり、それがあのビヨ〜ンサウンドを作っている訳です。
今回我が家に来たタンプーラマシンは、この音色を電気的に発生する装置。
妻が声楽の練習用に購入したのですが、いつでもどこでもあらゆる場所をカレー味にする事ができる不思議な機械です。

と、前置きが長くなりましたが、先日、これを鳴らしながら食事をしておりました。
かつて、僕の心の師である音楽家のラモンテ・ヤングが「完全5度の鳴り響く空間で生活した場合の精神的効果」について実験していたのを思い出しましたが、このビヨ〜ンは聞いているだけで落ち着くし、何を食べていてもインド料理のようになる...いえ、美味しく感じられるような気がするな〜と思っていました。

ちゃんと倍音の成分まできれいに再現されているので感心していたのです。
そこで、何気なく僕が妻に「この倍音のメロが気持ちいいよね〜!」と問いかけたら「その音は聞こえないよ」という返事が返ってきました。
「はて?」と思い、何度もそのメロを歌ったりしてみるのですが、妻にはその音は聞こえないというのです。
そこで、ある事を思い出しました。
聴覚には個人差があるという事。

ちょっと小難しい話かもしれませんが、人の耳は20〜20000Hzあたりが可聴領域と言われておりますが、実際には少し偏りがあり、完全に全帯域をまんべんなく聞き取れる人はそう滅多にはいないでしょう。
大まかに別けても低域型、中域型、高域型の3種類があると僕は思っています。
例えば歌ものの曲を聞いていても「歌」を中心に聞いていると人もいれば、「ベース」を中心に聞いている人もいますし、もしくはリバーブ音や後ろで鳴っているシンセなどの空間音についつい耳がいってしまう人もいます。

楽器をやっている人なら、専属の楽器を中心に聞くのは分かりますが、そうでなくてもこのように人によって聞き取っている周波数に違いがあるんですね。
今回のタンプーラマシンでも、妻は実音の低音部分を、僕は上の倍音部分を中心に聞いていたのです。

そういえば最近は気をつけていますが、以前は僕が作る音は「低音がない」とよく言われました。自分が聞いている分には高倍音の中でいろんな音が入り交じるように作っているので、これ以上音を足せないと思っていたのですが、普通に聞くと低音がない音楽になっていたのですね。
どうやら以前は極端な「高域偏重型」だったようで、どうりでグラウンディングできてなかったはずです(苦笑)

このような失敗談はさておき、実は同じ音楽を聞いていても、それぞれの耳の特性によって違った聞こえ方をしているという事実、これって面白いなとあらためて思いました。

よく「目玉を取り替えて世界を眺めてみたい」なんて言いますが、「耳を取り替えて音を聞いてみる」というのも面白そうです。
「面白く生きてる人は、きっと世界の音も面白く聞いているに違いない...」
と密かに思ってしまうのでした...
[PR]
by yuniwauta | 2006-01-27 01:24 | おとだま紀行

セミ・セッション

c0037400_22362469.jpgもうひと月あまり、ここも日中はひっきりなしの蝉しぐれだ。
ここのメインはアブラゼミで、時々ヒグラシやツクツクボウシやミンミンゼミも鳴くが、割合は少ない。
庭の木にはかなりの数いるようで、朝から時には深夜まで鳴き通しだったりする。
昨夜など、網戸の隙間から一時間おきくらいに蝉が迷い込んできてはジージー鳴いてにぎやかだった。

この家で一番蝉が賑やかなところにピアノを置いている。
ここは夕方になると障子に木の葉の影が映って美しいので、気に入っている。
いつも仕事のちょっとした合間をぬってはピアノに向かっているのだが、今日は面白かった。

ふと浮かんだテーマを元に、しばし即興演奏に入る。
湖面を嘗めるように滑空しながら、ふわりと飛翔する者の目で世界を見ているようなビジョンが浮かぶ。
しかし、何かの悲しみを抱えている。
生き物なのか?魂なのか?
テーマに隠れていた情感が次第に明確になり、メロディーの音域がしだいに高くなってゆく。
高く.....高く.......

ところが、途中からピアノの音が聞こえなくなった。
蝉たちが一斉にスフォルツァンドの大合唱をしている。
この声があまりに大きくて、ピアノの音が聞こえなくなってしまったのだ....

........そういえば、彼らは自分の声がより大きく聞こえなくてはならないので、周りで鳴く仲間よりも大きな声で鳴こうとする習性があるらしい。
かのファーブル先生も庭に集まってきた蝉があまりにうるさいので、何か大きな音を出して彼らを驚かせばいなくなるだろうと考え、小型の大砲を持ってきてドーンと打ち鳴らした。
だが、結果はその期待に反し、蝉たちは大砲にも負けじと更に大きな声で鳴きまくったのだそうだ.....

仕方なく手を止めると、次第に鳴き声は小さくなって落ち着いてきた。
ふむ、ならばこちらの音量を加減して、蝉とセッションしてみたらどうか?

結果は上々。
静寂を奏でるパッセージの時には、ぽつりぽつりと程よいアンビエントと化し..
少しテンポが上がり、音量が上がって来るにつれ次々と鳴き始め、次第に彼らも声高になってくる....
いつしか慣れて来て、ある瞬間から彼らの歌とピアノが寄り添うようにシンクロしてくる。
程よい一体感。
自然に音塊は収束し、徐々にフェードアウト。

図らずもアブラゼミの声は、フレーズ的でなく一定のパルス音(持続音)なので、一種のドローンとして作用してくる。
タンプーラの持続音のように、時間の感覚が溶けてゆく.....

ああ、ありがたや。
仕事の合間の、ふとしたひと時に感謝であります。
[PR]
by yuniwauta | 2005-08-12 22:33 | おとだま紀行

高い音と祓い

ヒーリングルームは、いつもクリーンなエネルギーにしておく必要があります。
体の中に溜った感情エネルギーのカスやエーテル内のガスなどがもし肉眼で見えたらきっと皆驚くでしょう。
これを毎日やっている場所なので、どうしても日々のクレンジングが欠かせません。
「ゆにわ」では浄化作用の強い「ナグチャンパ」というお香とレイキ、クリスタルボウルを主に使って、セッションごとにクレンジングをしていますが、最後の仕上げは音によるクレンジングです。

c0037400_2095436.jpg
うちではチベット法具でティンシャと呼ばれるものを使っています。
この円盤のような鐘を打ち鳴らすとキーーーーン!!という高い音が出ます。

ティンシャはやさしく打てば瞑想の合図などに使われますが、強く打ち鳴らすとラマ僧が旅の途中で魔に取り憑かれないように祓う効果があると言われています。
これを部屋の四隅で鳴らしていくと確かに空気がスッキリします。

でも、祓いの効果云々を抜きにしてもこの音は素晴らしい。
弱く鳴らすとフーっと鎮静していくようでもあるし、強く鳴らすと鼓膜がビ〜っと震えます。

岩笛や竜笛などの笛の高い音でも、同じような鼓膜の共振があります。
面白いところではホムズと呼ばれる鉄製の口琴などは、歯に当てて鳴らすと頭蓋骨に共振してくらくらしますが、実に心地よい!
演奏後はやはり頭がスッキリした感じになります。

神社で使う五十鈴や、仏壇にあるお鈴、鎮魂、祓いといった清めの道具として高い音の出るものがよく使われるのはやはりこうした脳への効果というものもあってのことかもしれません。

ちなみに拍手も祓いの効果があります。
お部屋の気が淀んだ時はパンパンと手を打ち鳴らすだけで気が変わります。

でもあなたが急に拍手をし始めたら家族の人がびっくりするかもしれませんね。
そんな時はこのフレーズを歌ってから....

「幸せなら手を叩こう!」 パン パン            合掌
[PR]
by yuniwauta | 2005-06-03 20:59 | おとだま紀行

アイ・ラブ・ドローン!

ドローン(持続音)については何度もこのブログに書いていますが、やっぱ好きです。
長〜〜〜〜〜〜〜い音というのは、それだけで不思議な精神作用があります。
要はある1音ないし2音、場合によっては複合的な音響またはコードが、音楽としての展開をせずに持続的に響き渡る状態とでも言いましょうか?(音を言葉で解説するとは、なんとまどろっこしい事か!)

ドローンを奏でる代表的な楽器ですが、
まず、ディジュリドゥというアボリジニの楽器、これはシロアリが食べて筒になったユーカリの木の枝を吹いて音を出すもの。
ブイ〜〜〜〜〜という低い音がします。
木質のチューバの低い音みたいな感じとでも言いますか...

インドのタンプーラ。
こちらは弦楽器、4〜5本の弦が同じ音か5度などにチューニングされていて、音が鳴り止まないようにひたすら鳴らし続けます。
インド楽器にはジャワリという弦の振動をビビらせて共鳴させ倍音を産み出す独特な部位がありますが、タンプーラはまさにこのジャワリが重要。
うまく奏でるとまるで太い弦を弓で擦っているような持続音が響き渡ります。

チベットのシンギング・ボウル
これは所謂お鈴ですが、木製の棒でこするとホーンという高い音が鳴ります。
グラスハープなどの原理に近いですね。
「ゆにわ」に置いてあるクリスタルボウルも同じように鳴らします。
仏壇のお鈴も棒でこすってみると結構鳴るものが多いです。
おばあちゃんに怒られそうですが、是非お試しあれ。

あとはバグパイプ等もドローンパイプという一定の持続音専用のパイプがありますし、ブルガリアンヴォイスなどのハモりのパートで、一人が常に同じ音で歌ったりというのもあります。
これもドローンの一種と考えていいと思います。

今まではだいたい低い音に関するドローンですが、面白いのは雅楽です。
ここで使用される笙は、高音のドローンと言っても過言ではありません。
音楽的にはクラスター(密集和音)という音の固まりを奏する楽器ですが循環呼吸を用いて楽曲中常にこの音が鳴っています。

生活音の中にもたくさんのドローンがあります。
重機の音、ジェット機の音、冷蔵庫やヒーターのたてる音、送電線の音.....
大半は単なる騒音ですが、時にハッとするようないい響きが聞ける時もあります。

滝や小川のせせらぎ、波等は自然界の大いなるドローンです。
滝のそばに座っていると時間感覚が無くなって行くように思いますが、これはその場のマイナスイオンの心地よさだけでなく、滝の持続した水音にも大いに原因があると思います。
せせらぎ、波もしかり。

人間の心臓は、特殊な修行を積んでいるか手術でもしない限り産まれてから死ぬまで動き続けています。
この血潮の流れは、体内である種のドローンを奏で続けています。
耳を塞ぐとゴーッという血液のながれる音がする。
お風呂に潜ると心臓の音と一緒にこの音が聞こえます。
案外大きな音ですよね?
外部の音を遮断してみると、体の中って結構騒がしいんだな〜と思ったりしますが、この音が止まるときはもうこの世にはいないんですね。

c0037400_22543124.jpg
高い山の上でシーンとした音を聞くとき、雪の降り積もった小道を朝誰もいない時に歩くとき、こんな時にもドローンがあります。
静寂のドローン。
呼吸をする事すら憚られるような静寂。

ドローンという音響の表現するもの。
その究極は「空」の音そのものなのかもしれません。
[PR]
by yuniwauta | 2005-05-19 22:56 | おとだま紀行

スイッチ入ったかな?

昨日の宣言によって拍車がかかり、今日もすっかり音楽モードです。
とはいえ今は仕事が忙しいので、合間合間の僅かな時間をぬってはピアノに座り声を出しました。(とはいえこれは自宅開業の特権)

ちょっと錆び付き気味で始めは何だかぎこちなかったけれど、しばらくするとすいすいと曲が書けてくる。もちろん長くてしっかりした構成のものなどではなくて、フォークソングのような軽い曲です。

即興演奏歴が長いお陰でとりあえずコードさえ決めればメロは自然に出てくるので、あとは歌詞を練るという作業になります。

作品作りに対する姿勢というのは、ここに来て随分変わってきたなと思います。
以前は凝りに凝って、今までに聞いた事もないような音響を作るんだと頑張っていました。
それはそれでその作業自体は大好きなんですが、いかんせん疲れる。
そしてそれが長い徒労の末に出来たとしても、しばらくして聞き直してみるとさほど良くはなかったりするのです。

何でもそうかもしれませんが、時間をかければ良い物が作れるとは限らない。
自分にとっての一番のマイソングは、ベランダで雲を眺めていた時に突然フッと聞こえてきたもの。
完璧にピアノアレンジされた形で聞こえてきたので、あとは楽譜に書き取るだけで良かった。

作品に長く手を加えてしまうと、そこにエゴイスティックなものが塗り込められてしまう事がよくあります。
作品に対する所有感が強くなってしまうんです。
子供を育てた経験はないけれど、やはり同じではないかな?
なかなか手放さないでいると、何も出来ない子になっちゃったり、変に屈折したりする。
とはいえ、何にもしないのでは作品とは呼べないので、そのサジ加減が大切です。

今思うのは作品を作る時に、そこに緊張を生まないようにという事。
要は力を抜いて、自然に溢れるものを形にすればいいのだと思っています。
自分らしくないものを産み出しても、窮屈になってしまうだけだから。
どうせなら不格好でも、自分らしいもので囲まれたい。
[PR]
by yuniwauta | 2005-05-12 23:49 | おとだま紀行

本日の音霊レシピ

出雲大社はそろそろ大祭礼の時期。
ゴールデンウィークの前後は大社境内に舞台が立ち、各地からの神楽奉納が連日のようにされています。
ここも晴れた日に窓を開けていると大社の神楽が風にのって聞こえてきます。

だいたいこの時期は忙しいので、近くても実際に見に行く事はないのですが、音だけ聞いていても社中によっていろいろなスタイルがあるように聞こえます(演目が違うだけかもしれませんが.....)

今日は久々の雨でしたがそれでも奉納されていたのか、雨の音に混じって時々低い太鼓の音が聞こえてきました。

雨に濡れた庭の草が、瑞々しい新緑の緑色を放ち。
障子の白との絶妙なコントラスト。
そこにしとしととランダムに降り注ぐ雨音。
いつものゆにわのヒーリングミュージック(シンセのドローン)
そこに低くかすかな太鼓の音がゆったりとビートを刻み。
時々カエル数匹&ウグイス参加。

なかなか静かなアンビエントを醸しておりました。
[PR]
by yuniwauta | 2005-05-02 01:13 | おとだま紀行

カエルのうた

このところ急に暑くなって夏のようですね。
つい先日まで朝晩の冷え込みで室内が寒いので、朝一のお客さんの前にはストーブすら付けていたのに、今日は半袖です。
お陰で蚊が大発生してパソコン周辺を飛び回る始末。
今年は蚊帳を頂いたので対策はバッチリですが、いくらなんでもまだ吊る気にはなれないですね。

そんな温かい陽気に誘われて、今日は早速カエル達まで鳴き始めました。

僕は何故だか分かりませんが大のカエル好きで、今はなくなりましたけど数年前まではカエルを見つけると手の平の上でひっくり返してお腹をなでる(こうするとカエルは眠ってしまう)衝動にかられたものでした。

両生類という何だか中途半端(失礼!)な生き物故か?
オタマジャクシから足だけ生えている時の微妙な不格好さ故か?
何故だか異常に愛くるしく感じており、カエルを見ると顔がほころんでしまいます。
きっと食料危機が訪れても、僕はカエルだけは食べないでしょう!

冗談はさておき、僕がカエルが好きな一番の理由はあの「鳴き声」です。
c0037400_22205350.jpg
カエルの生息域によっても違うでしょうが、僕の田舎でも梅雨時になるとカエルの大合唱が聞こえました。
ガシャガシャ言う高い声のカエルに混じって、低い声のウシガエルがグオーングオーンと鳴くというのがウチの方でのパターンでした。
幼い頃はあの低い声が止むと、まるで無呼吸症候群の親の寝息が止まった時のように落ち着いて眠れないのです。
そうして夜は更けて行き、明け方近くの薄い意識の中でいつしか高いカエルの声は、幾重にも重なる無限のリバーブのように脳裏でこだまして、まるで時間の迷宮に取り込まれたような錯覚すら起こさせました。

バリのコテージに泊まった時も近くの川でカエルの合唱が聞こえましたが、そこでは高い声のカエルが4回鳴く間に、低い声のカエルが1回鳴くのです。
つまり完璧に16ビートで鳴いている、それはバリの伝統芸能「ケチャ」そのものでした。
ケチャはカエルのダンスとも言われていますが、本当にそのまんま過ぎて笑ってしまいます。

日本ではそんなにビシッとしたビート感はなくて、おおよそ拍子というより高い方は早く鳴き、低い方はゆっくり鳴くといった所謂「間」の世界。
やはりこうした環境音から作られる音楽の民族性って大きいような気がします。

ならばカエル君達も、実は音楽の源泉ミューズの化身なのではないでしょうか?
少なくとも僕にとってはそうです。
[PR]
by yuniwauta | 2005-04-29 22:24 | おとだま紀行

長い音

今朝の瞑想中に、ちょうど深く入ったな〜というところで上空をジェット機か何かが飛び去っていきました。
ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!
という低音が、空洞になった頭蓋骨に響いて来て微妙に心地良かったです。

ところで、こういう長〜く持続した音というのに触れると、独特の感情を体験しませんか?

普通に車や電車などでは、ある程度エンジン音も一定でないし、時々止まるので休憩できます。
普通に息継ぎができる感じですね。
でも飛行機はそうでない、このエンジン音が止まったら大変な事になります。
なので一旦飛び始めたら、このエンジン音が切れる事なく続いているんですね。
まあ、気にしなければいいんですけど、どうも音には敏感な体質なので僕はつい聞き入ってしまう。
フーッと音に入っていくと、だんだんその響きと一体になっていきます。

でも、この音は終わらない.....息継ぎができない。
音に没入すればするほど、思考も停止して時間が止まったような感覚になります。

お寺の鐘などでも、近くで聞いていると
ゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンと、いつまでも長い余韻が続く。
この余韻が切れるまで聞ききろうと思うと、やはり同じような思考と呼吸の停止が起きてきます。

この時に起こる内的な静寂には、高い浄化力があるように思います。
長い持続音の事は音楽用語で「ドローン」と言いますが、以前書いた「宇宙背景放射」と同じく、この長く持続する音には太古の意識領域へと僕たちを誘う力があるのではないかと思うのです。

送電線や、古い電化製品なんかもこういう音がずっと出ている場合がありますね。
ただ、ある種のドローンは精神に悪い影響を及ぼすものもあるそうですので注意が必要です。
[PR]
by yuniwauta | 2005-04-18 12:53 | おとだま紀行

生琵琶を聞いた!

昨日、ふとしたきっかけで誘われて、松江に琵琶を聞きに行きました。
平山万佐子さんという眠水流の薩摩琵琶奏者の方です。
朗読とのコラボで、続・耳無し芳一など小泉八雲に関係するお話もありました。

自分が少しかじっているヴィーナは、この琵琶の親戚というか祖先なんです。
インドのヴィーナがシルクロードを渡って日本に入り、日本独自の発展を遂げて今に至っています。

お恥ずかしながら僕自身の琵琶に関する知識は皆無に等しく、せいぜい武満徹さんの「ノヴェンバー・ステップス」の衝撃から鶴田錦史さんの琵琶をCDで聞いたという程度で、生演奏は今回はじめてでした。

琵琶のビヨ〜ンという音色、この音のビヨ〜ン成分を作り出しているのは「さわり」と呼ばれる部位で、弦と微妙な角度で接している象牙の部分に弾かれた弦が触れてビビった音なんですね。
元のヴィーナにも同じ部分があって、ここは「ジャワリ」と言います。
何だか似てますね。

さて、本編の演奏の方ですが....
ちょっとびびりました。
琵琶の音が鳴り始めたな〜という内は、何ともなかったんですが、やおら「祇園精舎の〜〜〜〜.....」と語りが入ってくるとこれはもう容赦ない世界。
全身全霊をこめて繰り出される無念の叫び...
平家一門の無念と恨みつらみを飲み込んだ音絵巻が現出します。

普段ヒーラーをしている視点から見れば「怨念なんて持ってると体に悪いですよ〜」なんて思ってしまって興ざめですが.....
聞きながら自分の体を観察していると、恨みの籠った声が上がる度、足下の方から肝毒の混じった血がグワッと湧き上がってくるし、弦をバチでバツーン!と弾く度に、まるで刀で斬られていくような感覚...
座って聞いていて、いつもは痛くない肝臓が痛くなってきたり....
ああ、決して体にいい音楽ではないな〜(笑)と思ってしまいました。

が、しかし何故だか聞き終えたあとは妙な壮快感があって、帰りの車中でも妻と盛り上がる盛り上がる。
いいコンサートを見たあとはいつもこんなです。
ってことは、やっぱ良かったんだなと.....

日本の伝統音楽には、こういう霊的な世界の話、怨念とか多いですね。
わざわざ人の恨みつらみ話なんて聞きたくないと思うのが普通だと思うんですけど、何故、こういうものが生まれ、そして時代を越えて歌い継がれてきたんでしょうか?

僕なりに、こう考えてみました。
日本人はNOが言えず、感情も抑え気味であるために体内に多くの感情エネルギーを溜め込んでいるようです。
今でこそそれなりに解放されつつあるとはいえ、旧日本の社会ではこれがもっと抑え込まれていたに違いありません。
感情が行き場なく鬱積してくると、これは怨念になります。

こういう状況下で村社会から逸脱したいわば「社会的なしがらみのない」盲僧達が、このような怨念の表現を公衆の面前でやる、聴衆はこの盲僧の姿と語りに自分の内にある怨念の姿を見たのではないでしょうか。
そして自分の内の泣くに泣けない語るに語れない思いと、討ち死にしてゆく平家の無念とが重なり、物語と共にさめざめと泣き、こうした感情を昇華していたのではないでしょうか?

つまり、これは当時の一種のヒーリング・ミュージックだったという事ですね。

生琵琶をまだ一度も聞いた事がないという方、是非一度体験してみて下さい。
何か目覚めるものが、あるかもしれない.....
[PR]
by yuniwauta | 2005-04-18 02:07 | おとだま紀行

ゆにわ主宰          歌島のひとりごと 


by yuniwauta
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30