ゆにわのうたひ

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あわのうた (2)

「あわのうた」を作ってからというもの、何か不思議なチカラに引かれるように、あちこちへと招かれて演奏をさせて頂くようになった。

そんな折、何度となく「あわのうた」を祝詞として奉納する、という機会があった。
これは「言霊」ということの本来の意味なのだ。

コトバをある並びで唱えることによって特定の波動が発せられる....もちろん唱える側の意識が明確でなければならないのは言うまでもないとしても、こうした歌が、何かしらのチカラを持っていることは確かだろう。「秀真伝」の中では、こうした歌(言霊)のチカラによって稲に付く虫を退治したり、上から読んでも下から読んでも同じになる「回り歌」というのを求婚者に送って、相手が返し歌を作る事ができず見事にゴールイン!という話もある。

あわのうたと同様に48の文字を歌にしてあるものは他にもいくつかあるが、中でも有名なのは「ひふみ祝詞」だろう。

「ひふみ祝詞」
ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせゑほ れけ(ん)

一説によればこの「ひふみ」が「火」、「あわのうた」が「水」を表し。このふたつを合わせて唱えることによって陰陽が整うとも言われている。また「あわのうた」の「あ」は「天」を「わ」は「地」を表し、「あわのうた」は「天地を繋ぐ歌」という意味でもあるそうだ。

とまれ、このような知識はともかく、歌ってみるのが一番いい。私が実際やってみた経験では、「あわのうた」は「あーかーはーなーまー(あ行)いーきーひーにーみー(い行)......」といった風に、同じ母音が連続するので非常に歌いやすく、しばらく歌っているとのどが開いてきて確かに声の出がよくなる。ちょっと不思議な響きだが、ヴォイストレーニング等に加えても良い。

そして何故か、ずっと歌っていると何となく和やかな気持ちになってくる。これが「言霊」のチカラなのか、単なる気分なのかはともかくなんとも心地よい。

一体いつ誰が、このような歌を作ったのだろう?
謎は深まるばかりである。
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by yuniwauta | 2005-01-31 15:05 | かむながら

あわのうた (1)

「秀真伝(ホツマツタヱ)」という古文書がある。
一説によれば偽書、はたまた縄文中期の貴重な文献で古事記のもとになった書物とも言われる。

私がこの書物に興味を抱いたきっかけは、巫女の友人の家に遊びに行った時の事。
机の上にあった「言霊〜ホツマ/鳥居 礼 著」のページを、何気なくめくっていると「葛垣打琴(かだがきうちのこと)」という文字が飛び込んで来た。そこではたと思い当たる事があり、しばらく呆然となってしまった。

というのも僕自身、何年か前のファッションショーのイベントで音楽を担当した際に、たまたま和的な音が欲しいというオファーを受けて、普通の十三弦を太めの菜箸で叩くというスタイルで演奏した事があった。以降これが定番となって「琴を叩く=打琴」というのが、僕にとってのキーワードになっていたのだ。あくまで思いつきの事...と思っていたのに、実は古くからある奏法で、出雲大社では琴のボディーだけのものをバチで打つというものもあるという。

そんな事で、すっかりこの書物に心を奪われて、完訳本まで手に入れて読みあさった。
そこで出会ったのが「あわのうた」だった。

「あわのうた」
アカハナマ  イキヒニミウク
フヌムエケ  ヘネメオコホノ
モトロソヨ  ヲテレセヱツル
スユンチリ  シヰタラサヤワ

この57調の48音の歌だが、いろはうたと同じように言葉を覚えるのに使われたらしい。
面白いのがこの歌を琴の音に合わせて歌うと「五臟六腑が整い、声が明るくなる」と言われていること。少なからず医術に関わる者としては試さないでおく手はない。

そんな思考錯誤の中で生まれたのがCD「あわのうた」だ。
この作品を作った頃、各地の神社での奉納やライブでこの歌をお客さん達と歌ったが、いつも会場の空気がスーッと澄んでいくのが分かった。もちろん皆で声を出すという行為のお陰でもあるが、合唱練習をしたからといってこうはならない、やはりこの歌に宿る「言霊」のなせるわざではないかと思っている。余談だがDJをしている友人は、地下室の濃密な空気の中でプレイしたとき、会場の空気があまりに重いので試しにこのCDをかけてみたら、スーッと場の空気が晴れたという話をしてくれた。

今現在、ことばに対する感性は、例えば「水からのメッセージ」のように、波動結晶という目に見える形で認識されつつあるとは思うけれど、実際の感性自体は「コトダマ」という言葉の流布ほどには浸透していないように思える。

いにしえの日本人が、どんな風に「ことば」そのものにマジカルなパワーを感じていたのか...

興味のつきぬところである。
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by yuniwauta | 2005-01-30 22:50 | かむながら

祝大社温泉湧出!

大社の大鳥居のそばにある吉兆館の横は、去年からずっとボーリング作業をしていたのだが、27日付の新聞で「大社町の温泉湧く!『神泉』と命名」との記事。
何となく活気に欠けている神門通りが、この温泉で活気付くのを期待するばかりである。

これが完成すれば、遅ればせながらも「千と千尋の神隠し」よろしく、八百万の神様方(観光客様方)ご利用のお湯や誕生となる訳だ。

うちの近所では歴史博物館の工事が進んでいる、温泉と新たな展示で、どれくらいの集客が見込めるのか分からないが、何せ地元の古い世代の方の話を聞くと、皆さん揃って「お客が少ない」とか「祭りが地味になった」という。何せ集客はピーク時の5分の1、最近は出雲パックツアーでも大社に寄らないものも多く、なんとも寂しい話。「温泉と一緒にお客も湧いて出てほしい」という旅館経営者の談も切実なものがあるように感じる。

かつては大社の例祭も、サーカスや見せ物小屋が来たり、所狭しと並ぶ露天商で賑わっていたらしい。少し先の堀川沿いは柳並木で、九州から東北にかけて、海伝いに港から港へと渡り歩く「船商人」のための遊郭まであり、吊り橋を渡っていく小さな温泉もあった。

やがて鉄道が開通し、陸運の発達と共にこうした港町はしだいにさびれ、温泉もやがて枯れてしまって操業停止となったという事だが、桶を片手に柳並木の川端を母に手を引かれながら温泉に通ったという話を、いつだったか当時この辺りに住んでいたおばあさんから聞かせてもらったことがある。古き良き時代の残照である。

さて地元に温泉ができて、めでたいという気持ちはあるが、さて自分が入るかというとちょっと迷ってしまう。なぜかと言うとご近所さんとお風呂でばったり、ということもあり得るからだ。

先にもブログに書いたが、自分が湯船で阿呆面をしてユルんでいるところをいつ何時、誰が見ているとも限らない。まあそんなに気にする事はないのだけれど、何となく気恥ずかしい感じがするのは何故だろう? 銭湯通いも随分したが、よく考えてみれば世田谷の近所には知り合いがいなかった、今は違う。

こんなロン毛のあんちゃんがサウナで汗だくになっているところへ、年配のおじいさんが「先生。」と言って話しかけている様子を想像するともの凄く奇妙だ。やはりこんなことは大社であってはならぬのだ。

ともあれ、温泉が完成し、夜の神門通りを浴衣姿のお客さんが歩く姿ももうじき見られるようになるかもしれない。いつも誰もいない夜の大社を散歩していて「自分たちだけで、こんな静寂を味わってるなんてもったいないな〜」と思っていた。遠方から来られる方には是非おすすめしたい。

神苑は夏の夕涼みに最高なのだ。
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by yuniwauta | 2005-01-30 01:58 | 雑記帳

やわらか頭

最近ある本で、トレパネーション(頭蓋骨に穴をあける手術)に関する記事を見た。
どうやら「ホムンクルス」という漫画でも紹介されていたらしい。
頭蓋骨に穴をあけて脳圧を下げると、第六感が働きだしたり、恒常的な至福感などが得られるということだが、そのことについて考えてみた。

アステカかどこかの遺跡で、結構大きな穴の開いた頭蓋骨が発見されて「古代の脳手術の跡」という見出しが付いていたが、意外とこれもトレパネーションの一種だったのかもしれないのだそうだ。超感覚知覚を向上させ、天文知識や暦等、高度な文明を築いた種族の背景には、こうした手術によって超能力を開発した、一部の能力者階級のようなものが存在したのではないか?と。

そういえば手塚治虫の「ブッダ」の中に、ルリ王子というのが出てくるが、彼は額に穴をあけて瑠璃の玉をはめ込んでいたので「ルリ王子」と呼ばれていたらしく、昼夜ほとんど眠ることなく活動する超人的なキャラとして登場する。

頭に穴をあけると、そんなにいいのだろうか?

確かにパソコン等のやり過ぎで頭が詰まって来た時など、「あー、頭の中に手を突っ込んで、脳みそをぽりぽり掻いてみたい!」という幻想を持った事が、誰でも一度くらいはあるはずだ。
実際そんな事をしたら大変なのだけど、通常完全に密閉されてしまっている頭蓋骨が、パカーッと開いたら......とっても気持ちがいいような気がしないでもない。

と、こんな事を幾日か考えていたら、今日、偶然その答えが見つかった。

赤ちゃんだ。

赤ん坊のときは、頭蓋骨はまだ完全に固まっていない。産道を通る時、この方が多少変形して通りやすいからという事だが(人体って凄い!)、泉門という骨と骨の間の隙間がある。
そう、赤ちゃんはトレパネーションなしで、トレパって(!)いるではないか!!!

赤ちゃんの頭蓋骨がはじめから固まっていない理由は、一つは先の「産道を通りやすくするため」、そして、「これから成長する過程で脳が成長していくのを妨げないため」というものがある。しかし、例外はあるが一般的にはおおよそ10歳前後で、この泉門は閉じてしまう。脳の成長に歯止めがかかる訳だ。

それならば確かに、頭に穴をあけて脳圧を下げてやると、いくらかスペースに余裕ができて、さらに脳を成長させることができるのではないか?

余談になるが、チベットにはポワという修行があって(オウムのあれとは違う)、その修行が完成すると頭に自然に穴があくのだそうだ。修行者はそこに草なんかを刺して「開いた、開いた」と言って喜ぶらしい。(凄いアブナいような気もするが.....)この場合は穴を開けるのではなく、自然に開くのだ。

逆に、俗にいう「石頭」というのは文字通り頭が固い訳で、頭蓋骨がカチカチなら脳も窮屈、当然考え方も固くなってしまって融通がきかない。これでは更なる成長は望めないのは当然だ。

結局いつでも赤ちゃんの時のように、頭が柔らかく、余地がある状態というのが望ましいのだ。大人になると至極「物事というのはこういうものだ」とか「自分はせいぜいこの程度だ」等という固定概念がつきやすい、確かに社会生活の中で、ある程度折り合いを付けていくうえで必要なこともあるのだけれど、同時にそれはいつでも捨てられるようでなくてはならないと思う。

泉門が閉じる10歳くらいの時期というと、何となく自我が目覚めて来て「自分」というイメージができはじめる頃だ。
もしかしたら、頭蓋骨の成長を止めているのは、自分自身なのかもしれない。
自分自身で勝手に設定した「自分自身の限界」、内面宇宙の地平線とは、実は頭蓋骨の事なのかもしれない。

いつまでも、やわらか頭でいたいものだ。
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by yuniwauta | 2005-01-29 00:04 | からだのはなし

気感を高める(レイキ・パワーアップ初級者編)

レイキを受講された方、いろいろな想いを持って受講されたことと思います。
では今現在、どのようにレイキを使っていますか?と、質問すると、次の3つの答えが返ってきます。

1, 毎日遠隔やセルフヒーリングなど、生活の一部として活用している。
2, 緊急のときや、必要に応じて時々使う。
3, ほとんど使っていない。

さて、3の「ほとんど使っていない」という方、せっかく受講したのにもったいないですが、何故使わなくなったかと聞いてみますと、「以前ほど感じなくなったから」、「何も感じないから」といった理由がほとんどでした。

確かにやっても感じないと実感が湧きませんから、何となくおっくうになってしまうのも頷けます、しかし、せっかく身に付いている能力ですから、これを使わない手はありません。

同じようにアチューンメントを施しても、反応は人によってそれぞれで、私自身も毎回興味深く見させて頂いています。特に感じる、感じないといった「気感」の度合いには個人差があります。
しかし、「気感」は生まれつきのものや特殊能力ではありません。
今までの生活の中で、たまたま活性化されていないというだけで、本来誰にでも備わっている自然な感覚です。

今日は、簡単にできる「気感」を高める方法を幾つか紹介します。レイキを受講していなくてもできるものもありますので、是非トライしてみて下さい。

「手のひらをゴシゴシ」

両手の平を、ゴシゴシすり合わせます。(強くやる必要はありません、軽くで充分です。)
できれば立ち上がって、手の動きに会わせて膝も上下に動かしながらやると、より活性化します。(10秒くらい)

そうしたら両手を左右に開き、もう一度手のひらを会わせるように近付けていきます。
5センチくらいまで近付いた時、手の間にボワンとした圧を感じられたらオッケーです。左手は止めて、右手だけ近付けたり遠ざけたりしても感じやすいです。人によってはビリビリしたり、風を感じる方もいます。

「労宮をひらく」

私からレイキを受講された方にはお伝えしていますが、まずどちらかの手の労宮(手のひらの中心あたり)→次に中指の付け根→最後にそのまままっすぐ下がって手のひらの下端の真中、と計3カ所を軽く指圧します。反対側の手も同様に。

これを乾浴のあと、やってみて下さい。とても出がよくなります。

「西式健康法 合掌40分行」

「癒しの手/望月俊孝 著」にも紹介されていますが、目線より高いところで合掌をして40分、その姿勢を保つ、というものです。
私もやってみましたが結構辛くて「修行だな〜」と思いましたが、途中からだんだん楽になって気付くと90分もやっていました。終わったあと、確かに少しエネルギーが強くなったような感じがしました。
一生のうちに一度やれば、「癒しの手」が作られるというこの行法、興味があれば試してみる価値はあります。

「なるべく環境のいいところで......」

レイキはいつでも、どこでもできる。というのが特徴ですが、「気感」を高めるために、時々戸外の気持ちのよい場所でレイキを実践することをおすすめします。
山の上や、海など、自然のピュアなエネルギーがいっぱい溢れている場所でのレイキは、いつも家でやっているのとはまた全然違う感覚をもたらすはずです。
また都会などで、こうした自然な場所が遠くてなかなか行けない方は、是非日の出前の朝陽を浴びながら、レイキをしてみて下さい。

こうしたことと同時に、ティーチャーのところで一緒に遠隔をしたり、レイキを実践している友人とヒーリングし合ったりということも、よい刺激になります。
また「ゆにわ」では、希望者の方は再受講も可能です(各¥10,000、再アチューンメント込み)

こうしたヒントをもとに、もう一度レイキをやってみよう! と思って頂けたら幸いです。


次回はいつか未定ですが更に上を目指す方のための上級者編を掲載する予定です。
乞うご期待!
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by yuniwauta | 2005-01-28 00:49 | レイキ

サイト閲覧について

毎日少しづついろんな方に見て頂いているこのサイトですが、どうも開き辛いということはありませんでしたでしょうか?

このHP作成ソフトはFlashというものを使って作られているのですが、これがブラウザの種類によっては、とーっても相性が悪いみたいな感じなんです。

特に家のMACではInternetExplorer(通称IE)はしょっちゅう固まります。(でもこれは他のサイト閲覧でもしょっちゅう固まるので何とも言えません。)

MAC標準になったSafariというブラウザならほとんど問題なしです。何かおかしいなと思ったらとりあえずメニューからキャッシュをリセットでほぼ解決です。

ご覧になっている方、WINユーザーの方はどうでしょうか?
ちゃんと見れてるかな?ページがさくさく開かなくてやきもきしていないか心配です。

この間から、サイトをいろんな方に見てもらおうと、あちこちに登録しているのですが、特にいつも使ってるgoogle,これで「ゆにわ」と検索したら一番はじめに出る!というのが望みでしたが、まだ叶っていません。なかなか出ないのでもしかしたら入れ間違えたかなと何度か入れ直したから、どうもそれが良くなかったのかもしれません。

でもめげずに再挑戦、yahooのジオシティーに登録して、もう一つ、同じ内容でサイトをアップしました(こちらは広告付き)

ですので、もしかしたら近々googleやyahooでも検索可能になるかもしれません。
でも一度見たらURLを忘れると面倒なので、是非ブックマークに保存して下さいね。
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by yuniwauta | 2005-01-27 01:23

今日は満月

今日は満月だ。
さっきようやく"Sound Creation"のページが完成し、何とかサイト構築の作業としては一段落ついた。
「今年はホームページを立ち上げる」という目標をたてて、作業に取り掛かったのが今月の10日あたり、図らずも新月から満月にかけての行程となった。
連日日中は仕事をして、夜は明け方までパソコンに向かっていたのだが、さして体に堪えることもなく、スムーズに今に至っている。もしかしたら、この月のエネルギーのお陰なのかもしれないなと、ふと思う。

おおよそ月が満ちていく時は、何か新しい事を始めたり、創造したりするのに適していると言われている。逆に月が欠けていく時は、固まったものを解体したり、清算、浄化したりするのに適している。

ここ10年くらい、月の満ち欠けは常にチェックしていたからか、忘れていても「あ、満月が近いぞ。」というのが何となく分かる。ちょっと感情の揺れが大きくなったり、体がボワーンとしてきたりするのだ。

特に満月の時には、不思議なことが体内で起こる。
通常左右の耳は。右耳で聞いた音は左脳に、左耳で聞いた音は右脳に入っていく。
ところが、満月の時は、右耳は右脳、左耳は左脳と直結してしまうのだ。これならこれで良さそうなものだが、なにせ普段とは逆になっているので感覚が狂う。満月の日は交通事故が多いというのも、こういう事が原因の一つになっていると思われる。

しかし、満月のチカラは何もネガティブなものばかりではない。体の各器官の名称には「月(にくづき)」が付いているが、やはり体は月のエネルギーによく反応する。
女性の生理や出産なども、満月の時が最も多いらしい。
耳等の感覚器官にも変化が起きるということは、逆に言えば「いつもと違った感覚を体験できる」ということでもある。それもお酒や薬物を摂取してということではなく「ルナティック・パワー」による体験だ、どうせ外出しても危ないので、こういう時こそ家でゆったりとくつろいで、月光浴でもしながら風やしじまの音を味わうのもいい。

満月というと、こんなエピソードがある。
数年前にちょっとした実験で、庭にスピーカーとマイクをセットし、アナログシンセで虫の羽音に近い周波数を出して、コオロギやバッタ達と話してみようと試みた事がある。彼らはやはりとても音に敏感で、自分の羽音に近い音を出されると、もっと大きく高い音を出して対抗してくる。2〜30分もセッションをしていると、気付くと庭は虫の大合唱になっている、が、こちらが音を出すのをやめると、またぞろ元の鳴き方に戻っていく。

こんな事を何日か繰り返していると、何となく彼らの鳴き方のパターンというか言葉のようなものが分かってくる。ある特定のテンポや周波数があって、だいたいこのあたりだな〜というのが分かってくるのだ。
そうこうしているうちに満月の夜になった、しかしいつものように始めようとしたが、まるで分からない。鳴き方がいつもと全然違うのだ。
自分の耳も、満月の作用によって変わっていたと思うけれど、鳴き方のテンポ、周波数の分布、まるで違う。それこそ、バッタ君達が満月の晩だけボディーペイントでもして、ちょっと怪しい集会でもしているようなイメージ。
この日の様子は「月庭」という企画のアルバムに収録してある。
ちょっと怪しげな音に反応して、だんだんと層をなして積み重なってくる彼らの羽音が素晴らしい。
虫達は偉大な音楽家なのだ。
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by yuniwauta | 2005-01-26 01:03 | からだのはなし

誰かが見てる...

サイトを公開してから約1週間。
毎日パソコンを開く度に、自分のページを見ては、アクセスカウンターの数字が動いているのが密かな楽しみとなっている。
今日50を超えた、ということは不特定多数の50人の方が、このサイトを覗いてくれたと単純に解釈できる。

今までもミュージシャンとしての活動もしてきて、不特定多数の人に見られるという経験は割合してきた方であると思うけれど、自分は知らないのに相手が自分の事を知っているという気分は、なかなか微妙な心境だ。

しかし、整体の仕事もするようになってから、本当にいろいろな人と出会えるようになった事は、自分にとってものすごく価値があることと感じている。
考えてみれば、初対面の人と少なくとも1時間くらい、同じ部屋にいて対話をするのだ。不特定多数の人に音楽を聞いてもらうのとは全く違う。でも、そのお陰で、その土地の人の素の暮らし、空気感のようなものを直に感じさせてもらうことができる。

大社に来て、一番始めに感じたことは、これは田舎ならどこもそうかもしれないが人間関係がものすごく密である、ということ。
あるお客さんと話していて、ふと聞こえた名前に聞き覚えがあって「もしかしたら何何さんのことですか?」と聞くとだいたい知っている。幼い頃から住んでいる人は、別に知り合いじゃなくても「どこそこの町内の誰々さんはこういう仕事で....」みたいな事を当たり前のように話す。これは都会生活が長かった僕にはまず新鮮な驚きだった、まるで町全体が親戚家族みたいな感覚だ。
それでいて誰かに対して批判したり、妬んだりするような話はついぞ聞かない、やはりこれは大社さんのお膝元ならではの調和なのだろうか?と、時々思う。

こんな調子なので、近くのスーパーなんかに行くと、必ず1人か2人、お客さんとばったり会う、「こんにちは〜!」といって挨拶を交わす程度だが、時にはうちに来られたお客さんに「あなた、いついつにあそこにいたでしょう?」と聞かれることも多い。

都会の人の密度の中では、何となく人の個性のようなものが希薄に感じていた。
駅なんかで電車からバーッと人が降りてくると、そのひとりひとりの大切な輝きとか、個性みたいなものは相殺されて、ただバーッというかうじゃうじゃとかいう表現になりがちだったが、こちらはそんなことはあり得ない、人がいないのだ。

人が少ないと、やはりひとりひとりに注意が向くからか、なぜかやけに皆個性的に見える。映画に出てくるデフォルメされた登場人物のように、誰もが独特のキャラクターを醸し出している。きっと自分も外から見たら、何らかの濃いキャラとして、この町を徘徊しているに違いない。

かといって、きっとこの土地にずっと住んでいる人には、きっとこんな感覚は当たり前すぎて感じないのだろう。町の人が知ってる、ということはある意味では窮屈なことかもしれないが、逆に言えば、ものすごく安心感を貰えることなのだ。

誰かが見てるってことは、「誰かが見守ってくれている」ということでもある。
こんな大社が、僕はとっても好きなのだ。
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by yuniwauta | 2005-01-24 19:02 | 雑記帳

美食は殺人なり

今年の正月は妻の実家の名古屋まで車で行った。
片道約8時間半、雪が心配だったがノーマルタイヤのままの強行軍、幸い行きも帰りも大して危険なくスムーズでホッとした。
お正月は疲れるとよく言われるが、何故疲れるのか理由を考えてみた。

1, 食っちゃ寝してテレビばかり見てふやけた生活を送るから。
2, 家族、親戚など沢山の人の行き来があり、もてなしや移動で疲れる。
3, 年末のラストスパートで頑張り過ぎて、糸の切れた凧状態になってしまって疲れる(疲れが出る)
4, 正月だからと贅沢なものをたらふく食べたり飲んだりしたから。

他にもいろいろあるかもしれないが、たいがいこのうちのどれかに入るのではないだろうか?もちろん親戚や孫子が多くてお年玉出費が大変かさみ、懐寂しくてため息が出る人もあるかもしれないけれど、ここではその話はやめておこう。
これらの理由の内、実はかなり堪えるのが4の美食である。

お正月にギックリをやる人が多い、というと不思議に思われるかもしれない。だいたい家でごろ寝しているのにどうしてギックリ腰になるのか?
実は美食が原因なのだ。お酒はともかく、お正月は餅やらおせち、刺身にお肉、正月なんだから節制すると何だか縁起がよくない気がして、ついつい高級食材を買いあさってしまう。これらの食材は脂質が多く口には旨いが高タンパク高エネルギーでこれをどんどん詰め込まれた肝臓はパンパンになってくる。おまけに未消化な脂質を多く含んだ便は、なかなか外に出ようとしない。
こうなれば三賀日を過ぎた腹の中がどうなっているか、だいたい想像がつくだろう。
固くなってしまった腹は、背骨を支える役目ができなくなり背筋に異常な負担をかける、それでギックリ...ときてしまうのだ。

では、美食の弊害はそれだけだろうか?
肝臓が固くなってくると、その後ろ側の筋肉が張ってくる。横隔膜周辺の筋肉も固く伸びにくくなってしまう。こうなると、深い呼吸をしようとしても肋骨が開けないから当然呼吸が浅くなる。そしてさらに肝臓は怒りの臓器といって表現されない怒りの感情が溜りやすいところだが、逆に肝臓が固くなることによって怒りっぽい人になってしまう。こういう状態では集中力も散漫になるから運転中などいろいろと危ないことも多い。

極端な話だが、通常から美食に走り過ぎる傾向が強い人は、内的に自殺願望を抱えている場合が多い。「自分が嫌い」という思い込みが強いのだ。食べる事で意識を散漫にさせて、自分自身と向き合う事から逃げてしまっているとも言える。こういう状態が続くと本来のパーソナリティが自然な形で表現されにくくなってしまうし、またこの状態は内的に非常に深刻な枯渇感を生む。
そして、その枯渇感をどうして埋めたらいいか分からないので、また食べる、という悪循環になってしまうのだ。

マルコ・フェレーリ監督の「最後の晩餐」という映画がある。生きる事に絶望した4人の男たちが、「快楽の果ての死」を求めてとにかく死ぬまで食べ続けるという非常にグロい映画なのだが、現代の病巣を描いているようで鋭いものがある。

では、今現在食べ過ぎ傾向にある人はどうしたらいいか?
まずは、鏡に向かった時、必ず笑顔になって「かわいいね」とか「いい男だね〜」とか自分を褒めてあげるよう心がける事。
趣味とか好きな事がある人は(食べるのが趣味、というのは別)なるべくそれに時間を費やすよう心がける。心が満足すれば、食べるという行為で補う必要が減るので自ずと食べる量が減る。
そうして少し慣れてきたら、是非粗食化をすすめて頂きたい。
何も難しい理屈は必要ない、ご飯、お味噌汁、納豆、昆布、梅干しとか、いわゆる和食。魚、肉類は少なめにする、ただこれだけ。
これを5〜6日くらい続けて、7日目には肉でも魚でもなんでも食べたいと思う物を思いっきり食べる。これを繰り返すうちに、粗食の間に臓器が休まるので妙なイライラ感は減ってくるはず。
しばらく続けると、それほど食べなくても満足してくるから不思議。
経済的にも嬉しい結果になる。
お試しあれ。
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by yuniwauta | 2005-01-24 03:34 | からだのはなし

レイキ瞑想のすすめ

レイキを受講された方の中には、瞑想やヒーリングなど、様々なメソッドを学んでいる方も多いと思います。
今日は特にレイキを使った瞑想についてお話します。

レイキを受講された方は「光の呼吸法」というのをやったことがあるかと思います。
これは特にレイキを受講していなくてもできますが、レイキを併用することでさらにクレンジング効果を高めることができます。

「光の呼吸法」
1,  正座、もしくはあぐら(座位が辛い方はいすに座ってもいいです。)をかいて座ります。    
2,  頭上に太陽、もしくは金色に輝く光の玉をイメージし、そこから自分に向かって光のシャワーが降り注いでいる、とイメージして下さい。(レイキ受講者の方は第四マントラを頭上に書いたり、イメージしてもよいです。)
3.  呼吸はゆっくり、鼻から吸って口から吐くという呼吸をします。
4,  手のひらから光を受け取るように、頭上高く両手を上げます。
5,  手に光を感じながらじょじょに下に降ろしていきます。手が降りてくると同時に、その高さにあるチャクラが光に満たされていくのを感じながら、ゆっくりと降ろして下さい。
6,  頭頂、第三の目、のど、ハートと順に光で満たして下さい。胸のところまできたらさらにゆっくりと深く呼吸をします。「光を吸い込み、胸の中を光で満たし、感謝とともに光を吐く」という気持ちで何度か繰り返します。
7,  その呼吸をしばらくしたら、息を吐くときに同時に、胸の中の光を両腕を通して手のひらから放射して下さい。これが「光の呼吸」になります。心地よさを感じながら何度か繰り返します。
8,  ふわっとした感じになれたらオッケーです。そのまま手を丹田のところで組んで目を閉じ、その感じを味わって下さい。何かビジョンが見えたり、考えが浮かんできても全部流して下さい。ただボーッとする感じです。


次にレイキ受講者で、何らかの瞑想法を伝授されている方は、いつもの瞑想法をよりパワフルにすることができます。(遠隔ヒーリングを使いますので第二過程以上の受講者が対象になります。)

あなたがとても信頼しているマスターや天使など、また歴史上のアセンデッド・マスター(仏陀、キリスト)、もしくは瞑想でマントラ伝授を受けている方はそのマスターに対し、遠隔ヒーリングによって繋がります。

基本的には、個人に遠隔ヒーリングをする場合と同様に、マスターの名前の上にマントラを書き、そのまま瞑想に入るだけです。個人個人ではじめと終わりに自分なりの祈りと感謝を述べて下さい。



この方法はあくまで私が個人的にやってみた事で、非常に深い効果を感じる事ができましたので、お伝えさせて頂いています。フィードバック等ありましたら今後の参考にさせていただきますので、是非投稿して下さい。
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by yuniwauta | 2005-01-22 18:32 | レイキ

ゆにわ主宰          歌島のひとりごと 


by yuniwauta
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