ゆにわのうたひ

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飛ぶ

ヒマラヤの上を飛ぶ鳥のような
自由な心になって下さい

真っ青な空を
何もとらわれず
何も求めず

どれだけ自分の心が
狭い檻の中で彷徨っていることか
その小さな思い込みの世界で
苦しむ必要のないことで苦しむのをやめなさい

限界を捨て
概念を捨てなさい
未熟な言葉で語ろうとするのをやめなさい
語るのではなくただ味わいなさい
際限なく味わいなさい

どこまでも広がる地平
澄み切った空気
何も遮るものはなく
燦々と降り注ぐ太陽

この小さなからだの他に
私を感じるものは何もない
この小さなこころの他に
空と私を隔てるものは
何もない

解き放ち
自由でありなさい

私とあなたを隔てるものは
この小さなこころの他に
何もない
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by yuniwauta | 2005-04-30 23:19 | 時には詩歌など

カエルのうた

このところ急に暑くなって夏のようですね。
つい先日まで朝晩の冷え込みで室内が寒いので、朝一のお客さんの前にはストーブすら付けていたのに、今日は半袖です。
お陰で蚊が大発生してパソコン周辺を飛び回る始末。
今年は蚊帳を頂いたので対策はバッチリですが、いくらなんでもまだ吊る気にはなれないですね。

そんな温かい陽気に誘われて、今日は早速カエル達まで鳴き始めました。

僕は何故だか分かりませんが大のカエル好きで、今はなくなりましたけど数年前まではカエルを見つけると手の平の上でひっくり返してお腹をなでる(こうするとカエルは眠ってしまう)衝動にかられたものでした。

両生類という何だか中途半端(失礼!)な生き物故か?
オタマジャクシから足だけ生えている時の微妙な不格好さ故か?
何故だか異常に愛くるしく感じており、カエルを見ると顔がほころんでしまいます。
きっと食料危機が訪れても、僕はカエルだけは食べないでしょう!

冗談はさておき、僕がカエルが好きな一番の理由はあの「鳴き声」です。
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カエルの生息域によっても違うでしょうが、僕の田舎でも梅雨時になるとカエルの大合唱が聞こえました。
ガシャガシャ言う高い声のカエルに混じって、低い声のウシガエルがグオーングオーンと鳴くというのがウチの方でのパターンでした。
幼い頃はあの低い声が止むと、まるで無呼吸症候群の親の寝息が止まった時のように落ち着いて眠れないのです。
そうして夜は更けて行き、明け方近くの薄い意識の中でいつしか高いカエルの声は、幾重にも重なる無限のリバーブのように脳裏でこだまして、まるで時間の迷宮に取り込まれたような錯覚すら起こさせました。

バリのコテージに泊まった時も近くの川でカエルの合唱が聞こえましたが、そこでは高い声のカエルが4回鳴く間に、低い声のカエルが1回鳴くのです。
つまり完璧に16ビートで鳴いている、それはバリの伝統芸能「ケチャ」そのものでした。
ケチャはカエルのダンスとも言われていますが、本当にそのまんま過ぎて笑ってしまいます。

日本ではそんなにビシッとしたビート感はなくて、おおよそ拍子というより高い方は早く鳴き、低い方はゆっくり鳴くといった所謂「間」の世界。
やはりこうした環境音から作られる音楽の民族性って大きいような気がします。

ならばカエル君達も、実は音楽の源泉ミューズの化身なのではないでしょうか?
少なくとも僕にとってはそうです。
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by yuniwauta | 2005-04-29 22:24 | おとだま紀行

「パッション」 後記

たまの休みで映画ばかり見ていたので半ば映画レビュー的な内容ですが.....
この映画は上映当時に物議を起こしたのでちょっと気になっていました。
パッションは受難の意ですから、イエスが拷問された後、ゴルゴダの丘で十字架に架けられて死ぬというところが描かれた映画であるという所は当然分かっていましたが...

いつもこうしたイエス・キリストの映画を見ていて不思議と言うか疑問に思っている事、メル・ギブソンも描いてくれなかったな〜とちょっと残念でした。

僕的にはイエスの物語のクライマックスというのは、イエスが全ての人類の罪をあがなって死ぬという所ではなくて、その死の3日後に完全な体として復活するという所にあるのではないかと思っているのです。

肉体としての死を迎えても、更に高次の肉体として復活する事。
実際に聖書を読んでみても、この事については多く語られていないのは不思議でなりません。
一度死んだ人を蘇らせることができたイエスが自ら復活したとしてもおかしくはないし、これが事実なら西洋世界に於ける生と死という概念に大きな影響があったはず。
なのに、ほとんど語られていないというのはどういう事なのでしょうか?

僕が好きな本でライフログにもあげている「あるヨギの自叙伝」という本がありますが、この中でヨガナンダの師、スリ・ユクテスワ師は死後完全な肉体を纏ってヨガナンダのもとに現れたという記述があります。
あるレベルを超えると人間は物質体すら意のままにコントロールし、肉体の死を越えて永遠に生きるようになると、その本には書かれています。

実際「サマディ」という状態に至ると、呼吸、心拍などの生理機能一切が停止し、心の動きもストップして死を越えた世界を体験するそうです。
この場合も数日から長いものだと数十年ごとに復活して、再びもとの体に帰ってくるのです。

幼きイエスを祝福しに来た「東方の三賢者」と呼ばれる方々はインドの聖者であったとも言われています。成長したイエスはこの聖者の導きによってインドへと赴き、修行をしたと.....
実際にレイと呼ばれる場所に、イエスが修行した寺院というのが今もあるそうです。
だとすると、こうしたインドの聖者が持っているものと同じ能力を、イエスが持っていたとしても不思議ではないような気がします。

こうした事が事実で西洋世界で正しく認識されていたならば、その後の文明の発展の仕方はもう少し違ったものになったのではないでしょうか?
僕はキリスト教徒ではありませんが、磔になって血を流すイエスの像を拝む気にはどうしてもなれません。(実際に拝んでいる方、ごめんなさい)
むしろ復活して、光輝を纏って神の国に赴くイエスの姿をこそ拝みたいと思ってしまうのです。

それにしても、ただ新しい教義を掲げて人に平和と博愛を説いていた人に、あそこまでの酷い仕打ちをした理由はなんだったんでしょうか?
よほど、自分たちの価値観を覆されてしまう恐怖というのがあったのでしょうね。
こころの奥では自分たちの間違いに気付いていたに違いありません。
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by yuniwauta | 2005-04-27 00:40 | 雑記帳

マルコヴィッチの穴

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怒濤のスケジュールもようやく一段落...
久々のお休みで骨休め、今日は一日ぐうたらしています。
ほぼ毎日更新予定のブログが、今月は穴だらけ......
「穴」か〜.....と思いながら、今日のお休みをぐうたら過ごすために映画なぞ借りに行って一番最初に目に付いたのがこの「マルコヴィッチの穴」
今回で2回目ですが、僕の中でこの映画は面白い(?)というか珍作NO.1です。

主人公の人形使いが、入ると15分間だけ「マルコヴィッチ」になれるという不思議な「穴」を発見する....という奇抜な滑り出しで始まるこの映画、サイコセラピー的な要素や人とは何ぞや?男とは?女とは?という哲学的な問いもあるようなないような感動するようなしないような定義不能のストーリー展開で、異才スパイク・ジョーンズ監督の醍醐味と言った感あり。

日常の思考をちょっと撹拌したい方。
普通のコメディー映画なんかに飽きちゃった方にもお勧めです。
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by yuniwauta | 2005-04-26 19:32 | 雑記帳

サイキック・リーディングを受けた!

今回の大阪行き、実はもうひとつ楽しみがあったんです。
最近ひょんな事から知り合って、ブログのリンクもしているヒーラーの森めぐみさんとの交感セッションです。
普段がほとんど一匹オオカミな僕ですが、こうしたヒーラー仲間に出会えるのは嬉しい限り。
森さんとはあるヒーリングを共同作業させて貰ったりもして、とても刺激を受けています。

今回は僕から森さんへのレイキ・アチューンメント。
そして、森さんから、僕の過去生についてのサイキック・リーディングとヒーリングをして貰いました。

自分の過去生については僕自身いろいろなワークの過程で結構思い出してはいたのだけど、客観的にちゃんと見てもらったのは今回が初めてでした。

細かい内容については個人的な事なので公開しませんが、今自分にある深い心の傾向や自力で外せない体の痛みなどが過去生に起因する事があるという事を再認識させられる体験でした。

僕の体験でも、クライアントのある方にアチューンメントをした時、ふとその人の背中から槍が貫通しているのが見えた事がありました。もちろん霊的な槍です、過去に殺された時の痛みが、記憶としてこうして残っている場合があるのです。
この方の場合は、ずっと胸に痛みのような違和感があったのですが、一緒にこの槍を抜くという行為をする事で痛みが取れました。
僕はいつもはこういう事はやりませんが、時々こうした不思議な事例に出会います。
通常の体の認識ではないレベルにアプローチする必要がある場合がけっこうあるのです。

そんな中で僕は右鎖骨下にずっと消えない痛みがあり、これは過去生で何か裏切りがあって刺し殺された跡だという事までは分かっていました。
こうした痛みは物理的な刺激ではなかなか消えません。
しかし自分ではどうしても抜くことができず、誰か抜いてくれる人を探していたのです。

森さんのヒーリングはとてもパワフルで、この記憶に刺さった刀を抜いてくれただけでなくその傷を受けた時の情報も一緒にリーディングしてくれます。
僕はその傷跡にいろんなものがおまけでくっついてしまっていたので自力で抜けなくなっていたんだそうです。

長年気になっていた痛みを取ってもらったのでとても楽になりました。
嬉しさのあまりちょっと弛んで風邪をひいてしまいましたが、リーディングされた過去の毒素が排泄されているようで、これが抜けると更に軽くなれそうです。

いい機会なので今度、少しこうした技術を伝授してもらってもう少し深いレベルのヒーリングもできるようになりたいなと思っています。

即興ワークもヒーリングも、
仲間って大切だな〜といろいろな意味で認識させられた大阪行きでした。

森さんのサイトSmilimg Hearts
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by yuniwauta | 2005-04-22 23:38 | 雑記帳

大阪即興ソング・ワークショップ後記

先日、大阪にて初(?)の即興ソング・ワークショップを開催しました。
僕自身、こうしたワークショップは2年振りであったし、初めての大阪....
期待と不安入り交じりの当日でしたが、昼の部、夜の部共に20名近くの方々に参加して頂き、大変充実したワークショップとなりました。

昼夜とも、まず始めにアップとして、インプロワークスの絹川友梨さんに即興的な言葉や動きのほぐしをしてもらいました。
友梨さんは日本全国でこうした即興のワークを展開している超ベテラン。今までも何度も彼女のワークに参加させて頂いていますが、毎回う〜んとうならせられます。

僕自身、ヒーリングとして脳幹弛緩など脳の活性化を目的とした手技を行っていますが、この即興ワークというのは体や言葉の表現を通して、やはり同じように脳を活性化して開いていくもの。しばらくやっているうちに体も温まり、自然に頭が柔らかくなっていくのが分かります。

そうしてバトンタッチ。
まずは基本的なリズム、手や足を使ってリズムを取って脳のリズム回路を刺激。
簡単なキメのあるリズムパターンを皆でやるところまでいって少しリズムに慣れたところで、僕のソングワークでずっとやっている「ビバ・アフリカ」というゲーム(?)に突入。

これは、全員が輪になって踊りながら指名された人が真ん中に立ち、真ん中の人が4拍パフォーマンスしたことを次の4拍全員がまねするという単純なゲーム。
真ん中に立つと、とりあえず全員からのエナジーを受けられるので誰でも勢いで動き始めてしまいます。

このあと活元運動などをしてもう一度体を弛め、簡単な発声のレクチャーのあと声のワークへ。
口から口へと声を回す、声回し。
非常に単純なものですが、これをやっているといつもチベットかどこかの僧院のような不思議な音響が生まれて心地いい。
そしてちょっとしたフレーズの呼応や「人間ディレイ」等のゲーム、そして最後には皆でゴスペル調の歌をワンコーラスづつ歌って大合唱!

夜の部は、この合唱から更に進めて、4〜5人のグループでの即興ソングに挑戦。
ジャンル、タイトルと曲調のメジャー・マイナーはそれ以外の参加者から指定してもらい。
一人ワンコーラスづつ歌ったあと、全員でキーワードを見つけて繰り返してサビをつくる。

ちょっと高度かな〜と思っていたんですが、皆さん凄い!
あれよあれよと言う間に10曲のオリジナルソングの完成。
短れど、非常に完成度の高いものもあり、次回は録音しようという声も....
即興でその場限りの歌だけど、こうして持ち帰れる形があってもいいかもしれません。

そして最後は一人一人での自由な即興ソング。
簡単なタイトルを貰って、その人からきたイメージで伴奏を作って歌ってもらいます。
約20曲の一人一人の歌。
ソングのワークをするといつも思うのだけど、自分の言葉で歌ってもらうと、ひとりひとりの輝きが見える。
葛藤する姿、恥ずかしいながらも言っちゃった〜みたいな事、ちょっと感動してしまうような温かい言葉、いろんな歌の姿、こころの姿が見えて、こちらまで感動してしまいます。

最後はラストの人から全員でコーラスを作って終了。

今回は共同作業という収穫も大きかったです。
始めのアップを友梨さんにお願いできた事、途中作曲家の野村誠さんとそのお友達の方も飛び入り参加してくれました。
野村さんが意外な(しかしおいしい)所でピアノを弾いてくれたり、ちょっとしたアイデアがどんどん膨らんで行く。
これは即興ならではのおいしいツボだな〜と思ったり。

僕自身もとっても楽しめた一日でした。
参加してくれた皆さん、ありがとう!
また遊びましょうね〜!

ひとりひとりの歌。
今年は島根でも始めます。
乞うご期待!

ソングワーク以外の即興ワークのお問い合わせは
絹川友梨さん主宰のインプロワークス
大阪方面、即興ワークなどはこちら
フリーフライツ
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by yuniwauta | 2005-04-22 22:34 | インプロ

長い音

今朝の瞑想中に、ちょうど深く入ったな〜というところで上空をジェット機か何かが飛び去っていきました。
ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!
という低音が、空洞になった頭蓋骨に響いて来て微妙に心地良かったです。

ところで、こういう長〜く持続した音というのに触れると、独特の感情を体験しませんか?

普通に車や電車などでは、ある程度エンジン音も一定でないし、時々止まるので休憩できます。
普通に息継ぎができる感じですね。
でも飛行機はそうでない、このエンジン音が止まったら大変な事になります。
なので一旦飛び始めたら、このエンジン音が切れる事なく続いているんですね。
まあ、気にしなければいいんですけど、どうも音には敏感な体質なので僕はつい聞き入ってしまう。
フーッと音に入っていくと、だんだんその響きと一体になっていきます。

でも、この音は終わらない.....息継ぎができない。
音に没入すればするほど、思考も停止して時間が止まったような感覚になります。

お寺の鐘などでも、近くで聞いていると
ゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンと、いつまでも長い余韻が続く。
この余韻が切れるまで聞ききろうと思うと、やはり同じような思考と呼吸の停止が起きてきます。

この時に起こる内的な静寂には、高い浄化力があるように思います。
長い持続音の事は音楽用語で「ドローン」と言いますが、以前書いた「宇宙背景放射」と同じく、この長く持続する音には太古の意識領域へと僕たちを誘う力があるのではないかと思うのです。

送電線や、古い電化製品なんかもこういう音がずっと出ている場合がありますね。
ただ、ある種のドローンは精神に悪い影響を及ぼすものもあるそうですので注意が必要です。
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by yuniwauta | 2005-04-18 12:53 | おとだま紀行

生琵琶を聞いた!

昨日、ふとしたきっかけで誘われて、松江に琵琶を聞きに行きました。
平山万佐子さんという眠水流の薩摩琵琶奏者の方です。
朗読とのコラボで、続・耳無し芳一など小泉八雲に関係するお話もありました。

自分が少しかじっているヴィーナは、この琵琶の親戚というか祖先なんです。
インドのヴィーナがシルクロードを渡って日本に入り、日本独自の発展を遂げて今に至っています。

お恥ずかしながら僕自身の琵琶に関する知識は皆無に等しく、せいぜい武満徹さんの「ノヴェンバー・ステップス」の衝撃から鶴田錦史さんの琵琶をCDで聞いたという程度で、生演奏は今回はじめてでした。

琵琶のビヨ〜ンという音色、この音のビヨ〜ン成分を作り出しているのは「さわり」と呼ばれる部位で、弦と微妙な角度で接している象牙の部分に弾かれた弦が触れてビビった音なんですね。
元のヴィーナにも同じ部分があって、ここは「ジャワリ」と言います。
何だか似てますね。

さて、本編の演奏の方ですが....
ちょっとびびりました。
琵琶の音が鳴り始めたな〜という内は、何ともなかったんですが、やおら「祇園精舎の〜〜〜〜.....」と語りが入ってくるとこれはもう容赦ない世界。
全身全霊をこめて繰り出される無念の叫び...
平家一門の無念と恨みつらみを飲み込んだ音絵巻が現出します。

普段ヒーラーをしている視点から見れば「怨念なんて持ってると体に悪いですよ〜」なんて思ってしまって興ざめですが.....
聞きながら自分の体を観察していると、恨みの籠った声が上がる度、足下の方から肝毒の混じった血がグワッと湧き上がってくるし、弦をバチでバツーン!と弾く度に、まるで刀で斬られていくような感覚...
座って聞いていて、いつもは痛くない肝臓が痛くなってきたり....
ああ、決して体にいい音楽ではないな〜(笑)と思ってしまいました。

が、しかし何故だか聞き終えたあとは妙な壮快感があって、帰りの車中でも妻と盛り上がる盛り上がる。
いいコンサートを見たあとはいつもこんなです。
ってことは、やっぱ良かったんだなと.....

日本の伝統音楽には、こういう霊的な世界の話、怨念とか多いですね。
わざわざ人の恨みつらみ話なんて聞きたくないと思うのが普通だと思うんですけど、何故、こういうものが生まれ、そして時代を越えて歌い継がれてきたんでしょうか?

僕なりに、こう考えてみました。
日本人はNOが言えず、感情も抑え気味であるために体内に多くの感情エネルギーを溜め込んでいるようです。
今でこそそれなりに解放されつつあるとはいえ、旧日本の社会ではこれがもっと抑え込まれていたに違いありません。
感情が行き場なく鬱積してくると、これは怨念になります。

こういう状況下で村社会から逸脱したいわば「社会的なしがらみのない」盲僧達が、このような怨念の表現を公衆の面前でやる、聴衆はこの盲僧の姿と語りに自分の内にある怨念の姿を見たのではないでしょうか。
そして自分の内の泣くに泣けない語るに語れない思いと、討ち死にしてゆく平家の無念とが重なり、物語と共にさめざめと泣き、こうした感情を昇華していたのではないでしょうか?

つまり、これは当時の一種のヒーリング・ミュージックだったという事ですね。

生琵琶をまだ一度も聞いた事がないという方、是非一度体験してみて下さい。
何か目覚めるものが、あるかもしれない.....
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by yuniwauta | 2005-04-18 02:07 | おとだま紀行

ミステリー・サークル

とりあえず、聞かれた事には答える主義なので一応....
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ミステリー・サークルという呼び名は日本のもので、あちらではクロップ・サークルって呼びます。
CROPって作物とか、そういう意味だったと思うんですけど、小麦畑なんかにできるので、こういう呼び名なんですね。

プラズマ現象説とか、宇宙人説とか、芸術家の腕くらべだとか、いろいろあるようですね。

僕自身は.....よく分かりませんけど。
でも、時々ふ〜んと思うくらいデザインの良いものがあって、それが好きで時々見てます。
良く覗いているのは
ここです。
日本語の解説もちょっとありますよ。
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by yuniwauta | 2005-04-16 00:08 | 雑記帳

選挙カーに思ふ

非常にローカルなネタですが、先の出雲市合併につき、市会議員選挙という事で毎日選挙カーが入り乱れていますね。
普段は静かなこのあたりでも、一日に何台もの車が通り過ぎて行きます。
こんな狭い路地で、そんな爆音で叫ばなくてもいいのに....と思いますが、そんな事はおかまいなし。
サブリミナル効果で、人々の心に名前のキーワードさえ刷り込んでしまえばいいんですね。

そんな今日のお昼過ぎ、遠くからオルティンドー(モンゴルの女性歌唱)が聞こえてきました。
珍しい事もあるなと思ったらやはりこれも選挙カー、近くにくるとやはり名前の連呼です。
でも、さすがはウグイス嬢ですね、倍音豊富なよい声なので、遠くで響くと本当に歌のようです。

ここで思ったのは、選挙はともかく、名前を覚えてほしいというのが選挙カーの目的ならば、やはりインパクトのあるキャッチーなメロディーか何かを付けて歌ったらどうでしょうか?
いわゆるジングルですね。
無味乾燥な名前の連呼よりも、聞くと思わず笑みがこぼれるようなメロディーで.....
隣の選挙カーとハモったりして?

それにしても、連日候補者の方はこの車に乗って、白手袋で手を振りながら、ウグイスさんに自分の名前を爆音連呼してもらうわけですよね?
よ〜く考えると、かなり奇妙な事ですよ。
さしずめ僕だと
「皆さん!ウタシマ!ウタシマ!ウタシマ マサトシです!ウタシマ!ウタシマです!ウタシマ マサトシ!ウタシマ!ウタシマ!ウタシマ!.............」
というのを一日中聞く訳ですね。
マントラじゃあるまいし、一日中こうやって自分の名前を聞き続けたら、
「ウタシマって何だ?マサトシって何だ?俺は誰なんだーーーーー!」という気になりはしないのでしょうか?

僕はきっと耐えられません。
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by yuniwauta | 2005-04-15 23:45 | 雑記帳

ゆにわ主宰          歌島のひとりごと 


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