ゆにわのうたひ

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被災地への想い

8月8日から13日まで、大阪〜宮城へとワークショップとパフォーマンスの旅をしてきました。
大阪では子供たちへのソング(とうより音遊び)のワーク、宮城では飯塚ドラマスクールOBのメンバーと共にワークとパフォーマンスを子供たちへの文化支援の一環として。

中でも、震災以降、被災地へと赴くのは初めてでしたし、ネットを通じて感じていた事と現地の空気の中で感じる事とはきっと違うと思っていました。色々な事がありましたが、僕の中で一番大きかったのは11日の夜、石巻の大川小学校で音楽を捧げさせて頂いた事です。

長文ですが、自分自身の忘備録として書きます。

はじめ、飯塚ドラマスクールを主宰されているYさんからこのお話を頂いたとき、正直とても重いお役だと思いました。ライトアップニッポンという企画で、全国から義援金を募り、被災地の各所で慰霊の花火をあげるという事でしたが、大川小学校のあたりは壊滅的な被害にあっているので、インフラが整っておらず、当然電気も通っていない。花火をあげた後、暗い夜道を遺族の方々が帰って行かれる時があまりに寂しいので、そこで鎮魂の音楽を奏でて、皆さんが少しでも和んで帰れる様に演奏して欲しいといったお話でした。

ただ、3月11日以降、被災地の方々に何かできないか、自分なりの支援とは何だろうと考えつつも、なかなか具体的な行動に出る事ができないままで悶々としていたので、これは機会を与えて頂けたと、お受けしました。

僕たちを大川小学校へと案内して下さったのは、宮城でもともと支援学級の子供たちの心理カウンセラーをされているSさんという方でした。Sさんは震災直後からこの大川小学校の遺族の方々の心のケアにも取り組んでおられました。とても心のキャパシティーの大きな方で、僕はちょっとSさんの事を簡単に書けません、前日に秋保温泉の合宿所でオカリナでアメンジング・グレイスを吹いて下さった。大川小学校にも何度も赴いて、子供たちに向けてこの曲を吹いておられたという事でしたが、その音は胸の深い深い所まで響いて、感動というよりも、むしろその地に満ちている悲しみの想いや、失われた町の風景がありありと伝わってきました。

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(途中に寄った東松島の中学校にて。津波の跡が2階の壁や窓に残っている)
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(同じ学校の体育館。幸い生徒たちは無事だったが、卒業式の飾りがそのまま、大量の土砂とがれきが流れ込んでいる。)

Sさんの車に乗り、大川小学校への道すがら、かつてSさんが赴任していた学校や、現地の方々の置かれている状況や問題についてお話を聞きました。亡くなった子供たちと生き残った子供たち、遺族の葛藤、行政の不備...状況は時が傷を癒して、とは未だ言い難い。むしろ長期化するにつれでますます違った問題が生じて更に悪化しているようでさえありました。
そして、大川小学校への道は、多少整備されたとはいえあちこちにブルーシートがかかり、付近の家屋も半壊のまま放置、インフラ整備も行き届いていないという状況で、数日前に、やはり安全管理ができないという事で、ここでの花火が中止になってしまっていました。

必死でここでの花火を開催しようと頑張っていた遺族の方の落胆はそれは激しかったそうです。翌日の新聞を見れば、他の会場では花火があがったのに、大川小学校だけはできなかったのです。
そのかわりと言っては何ですが、僭越ながら、音楽だけ捧げに行かせて頂く事になりました。飯塚から音響機材を持ち込み、僕はシンセを、電源は車のシガーソケットからひいての急あつらえです。

ここで、何を奏でたらいいのだろうと、お話を頂いてから随分と考えましたが、前日にSさんのオカリナを聞いたとき、これは校歌しかないと思いました。そこで当校卒業生の方にお願いして楽譜を探して頂きました。結局、僕の即興演奏を2曲と、Sさんと一緒にアメイジンググレイス、そして集った方々と共に、3度、校歌を演奏させて頂きました。
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鎮魂のための演奏であるし、僕自身は優しく奏でたほうがいいのではと思えました。ところが、2度目に演奏していたら、ふいに子供たちの笑い声がたくさん聞こえてきました。そして、一緒に歌い始めたのです。元気に力強く『もっと大きな音で弾いてよ』と言われているように思え、気付くと大音量で奏でている自分がいました。その声は他の方にも聞こえたと言われました。
遺族の方々の切実な想いがそうさせたのか、本当に子供たちの魂が集まってきて一緒に歌ってくれたのかは分かりません。しかし、少し曇がかかっていた空がしだいに晴れ、大きな月が夜空に輝いているのを見たとき、ここに集った方々の想いは、きっと彼らに届いている、きっと喜んでくれたに違いないと思いました。

しかし、現地の復興はまだまだです。
それほど被害が無かった内陸と沿岸部では大きな差がありますし、やはり現地に赴いて当地の方のお話を聞いてはじめて伝わってくるものがあります。自分など、ネットを通じて色々と情報を得ていたつもりでしたが、やはり現地に足を運んではじめて実感するものが大きかったです。
色々な話を聞くにつけ、もどかしい想いが湧いてくる事も多々ありました。

しかし、そんな中で、やはり当地に赴いて大川小学校周辺の地域でも心理的ケアをされてきたYさん曰く『それぞれ、自分の才能を活かして、自分なりのやり方でやるのがいい』との事でした。
先日話題になった東大の児玉龍彦先生も同じ事をおっしゃっていました。

僕には何ができたでしょう。
その場の空気を感じながら、祈りを込めて音楽を紡ぐ事。
ただ、それだけです。
小さな音の献花ですが、子供たちが天国へと帰ってゆく道を、ほんの少しでも照らせていたらいいなと思います。
そうして、また何度でもかの地に赴いて、再び音楽を捧げさせて頂きたいなと思っています。



震災からはじめてのお盆を迎え、被災された方の魂が、癒されます様に。
未だ見つからないたくさんの方の身体が、少しでも多く、遺族の方のもとに帰れます様に。
そして、残された方々の心の傷が癒えます様に。
心より、お祈り申し上げます。
合掌

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by yuniwauta | 2011-08-15 00:46 | 雑記帳

ゆにわ主宰          歌島のひとりごと 


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