人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ゆにわのうたひ

yuniwa.exblog.jp ブログトップ

「パッション」 後記

たまの休みで映画ばかり見ていたので半ば映画レビュー的な内容ですが.....
この映画は上映当時に物議を起こしたのでちょっと気になっていました。
パッションは受難の意ですから、イエスが拷問された後、ゴルゴダの丘で十字架に架けられて死ぬというところが描かれた映画であるという所は当然分かっていましたが...

いつもこうしたイエス・キリストの映画を見ていて不思議と言うか疑問に思っている事、メル・ギブソンも描いてくれなかったな〜とちょっと残念でした。

僕的にはイエスの物語のクライマックスというのは、イエスが全ての人類の罪をあがなって死ぬという所ではなくて、その死の3日後に完全な体として復活するという所にあるのではないかと思っているのです。

肉体としての死を迎えても、更に高次の肉体として復活する事。
実際に聖書を読んでみても、この事については多く語られていないのは不思議でなりません。
一度死んだ人を蘇らせることができたイエスが自ら復活したとしてもおかしくはないし、これが事実なら西洋世界に於ける生と死という概念に大きな影響があったはず。
なのに、ほとんど語られていないというのはどういう事なのでしょうか?

僕が好きな本でライフログにもあげている「あるヨギの自叙伝」という本がありますが、この中でヨガナンダの師、スリ・ユクテスワ師は死後完全な肉体を纏ってヨガナンダのもとに現れたという記述があります。
あるレベルを超えると人間は物質体すら意のままにコントロールし、肉体の死を越えて永遠に生きるようになると、その本には書かれています。

実際「サマディ」という状態に至ると、呼吸、心拍などの生理機能一切が停止し、心の動きもストップして死を越えた世界を体験するそうです。
この場合も数日から長いものだと数十年ごとに復活して、再びもとの体に帰ってくるのです。

幼きイエスを祝福しに来た「東方の三賢者」と呼ばれる方々はインドの聖者であったとも言われています。成長したイエスはこの聖者の導きによってインドへと赴き、修行をしたと.....
実際にレイと呼ばれる場所に、イエスが修行した寺院というのが今もあるそうです。
だとすると、こうしたインドの聖者が持っているものと同じ能力を、イエスが持っていたとしても不思議ではないような気がします。

こうした事が事実で西洋世界で正しく認識されていたならば、その後の文明の発展の仕方はもう少し違ったものになったのではないでしょうか?
僕はキリスト教徒ではありませんが、磔になって血を流すイエスの像を拝む気にはどうしてもなれません。(実際に拝んでいる方、ごめんなさい)
むしろ復活して、光輝を纏って神の国に赴くイエスの姿をこそ拝みたいと思ってしまうのです。

それにしても、ただ新しい教義を掲げて人に平和と博愛を説いていた人に、あそこまでの酷い仕打ちをした理由はなんだったんでしょうか?
よほど、自分たちの価値観を覆されてしまう恐怖というのがあったのでしょうね。
こころの奥では自分たちの間違いに気付いていたに違いありません。
by yuniwauta | 2005-04-27 00:40 | 雑記帳

ゆにわ主宰          歌島のひとりごと 


by yuniwauta
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31