サマディツアー体験記<10日目 最終日 アグラ>
長かったツアーも、いよいよ最終日となった。
ブッダガヤから寝台特急でツンドラまで行き、そこからバスでアグラへ移動。
ツンドラ駅に到着したのは確か明け方3時半くらいで、アグラに着いたのは5時頃だったと思う。
アグラは、また今までと違った雰囲気だったが、遠くでコーランが聞こえたせいかもしれない。
今日は所謂インド観光のメッカ、タジマハールとアグラ城。
と、ここで写真の一枚でも貼りたいところだが、タジマハールの検問は厳しく、写真が撮れなかった。
入り口でボディチェックもされる、テロに対する警戒で飲み物、電池類、ナイフ類、携帯電話なども全部持ち込み禁止。
しかし、デジカメ等はOK。これを禁止したら観光客が減るからだろう。
僕は携帯のカメラで写真を撮っていたので、ここでは何も撮れなかった。
確かにタジマハールは均整の美で、豪奢な装飾と総大理石の建物は圧巻だった。
しかし、ここはとある大金持ちが、亡き妻のために造った墓所であり、今まで通ってきた祈りの場とは少し趣きが違うように感じた。
ただ、建物の中は天井が高く、そこにいる人々の発する音が反響して、まるで天から音が降って来るように感じられた。(ちなみに写真はアグラ城)
数羽の鳩が、建物の中を飛んでいたが、イスラム様式の美しい文様に、この鳩たちの動き、そして天から降って来る音響効果が加わって、しばらく中にいると少し酩酊したような感覚になった。
長い残響と、入り口から入って来る淡い光。
そこには、日常にはない異世界への扉が隠れている様に思えた。
その後アグラ城へと向かった。
ここも中は絢爛豪華、繊細で緻密な象眼細工と建築美、その当時の富と技術の結集した素晴らしい建物に見えた。
数世代に渡って増築改築を繰り返して、その時々の権力者の好みに合わせて建物が造られているので建築史的には非常に興味深い建物なのだろうと思った。
ところが、ここに来て自分の心が妙に冷めているのを感じた。
確かに素晴らしい工芸美だし、その時々の最高の材料と技術が投入されているであろう事は感じられた。
しかし、これを造る事で、どれだけの人が幸せになったのだろう?
先のタジマハールも、ある一人の女性のために夫が送った愛の象徴といえばロマンチックではあるけれど、こうして贅沢の限りを尽くした建物は、その権力の下で成された非人道的なまでの搾取の結晶でもある。
一人の幸福のために、ここまでやる必要が果たしてあったのだろうか?と思ったりもした。
一番最初にデリーで訪れたビルラ寺院は、やはり大理石で造られて立派だったが、そこには当然ながら個人所有の感覚はなかった。
神様に捧げるためにただ最高のものを用意しているだけであって、それは誰かの権力や富を誇るものではなかった。
ビルラ寺院の造りはここよりもはるかに質素であったけれど、柔らかくて丸いイメージであらゆる人を受け入れるような寛容さがあった。
このツアーの中で、訪れたり出会ったりした人々の中に、質素の内にある神殿を幾つも見て来た。
見かけはぼろを纏っていたり、大して立派な服を着ていなくても、その人達の内側には侵し難い高貴さが滲み出ていた。
しかし、今目の前にある立派で豪奢な建物は、見かけは確かに立派で素晴らしいのだけれど、その裏には人間の業欲と権力への冷徹な響きを感じた。
つまるところ、ここに自分の選択を見たような気がしたのだ。
『感覚的なものや物質的なものは、たとえそれがどんなに素晴らしいものだとしても、所詮全て外側の事柄に過ぎない。
それは本当の自分自身とは何の関係もないから、仮に一時得られたとしても、それはやがて崩壊し、自分の手からは離れてしまう。
しかし、内にある宝石は、決して失われる事がない。
それは存在そのものが本来持っているクオリティであって、誰かから奪えるものでもないし、また害されるものでもない。』
そんな事を、何かの本で読んだのを思い出していた。
アグラ城を後にしたバスの中で
『お前はそのどちらを選ぶのか?』と内側に問いかける声を聞いた。
『両方を。 しかし、物質的なものについては執着はせずに。』
それが当面の答えだと、今は思う。
その後、ドライブインにてこのツアー最後のインドでの食事。
トマトスープ、レンズ豆のカレー、グリーンピースとカリフラワーのカレー、ジャガイモのカレー、ほうれん草のカレー、チーズ入りのトマトカレーに生野菜、ナンとライス。
ツアー中食べた料理は、どれも辛さはマイルドで、それはそれでお腹を壊さなくて良かったのだけれど、せっかくなので『最後に思いっきり辛いのが食べたい』とお願いしたら、青とうがらしのスライスが数本分出て来た。
現地でも辛いのが好きな人はこれをかじりながら食べるらしい。
かじってみたが、めちゃくちゃ辛い。
でも何とか2本分くらいは食べて、一応満足した。
そうして、旅は終わった。
最後にお約束の蛇おじさんになって、インドの想い出は少しセピア色になった。
ブッダガヤから寝台特急でツンドラまで行き、そこからバスでアグラへ移動。
ツンドラ駅に到着したのは確か明け方3時半くらいで、アグラに着いたのは5時頃だったと思う。
アグラは、また今までと違った雰囲気だったが、遠くでコーランが聞こえたせいかもしれない。
今日は所謂インド観光のメッカ、タジマハールとアグラ城。
と、ここで写真の一枚でも貼りたいところだが、タジマハールの検問は厳しく、写真が撮れなかった。
入り口でボディチェックもされる、テロに対する警戒で飲み物、電池類、ナイフ類、携帯電話なども全部持ち込み禁止。
しかし、デジカメ等はOK。これを禁止したら観光客が減るからだろう。
僕は携帯のカメラで写真を撮っていたので、ここでは何も撮れなかった。
確かにタジマハールは均整の美で、豪奢な装飾と総大理石の建物は圧巻だった。
しかし、ここはとある大金持ちが、亡き妻のために造った墓所であり、今まで通ってきた祈りの場とは少し趣きが違うように感じた。
ただ、建物の中は天井が高く、そこにいる人々の発する音が反響して、まるで天から音が降って来るように感じられた。(ちなみに写真はアグラ城)
数羽の鳩が、建物の中を飛んでいたが、イスラム様式の美しい文様に、この鳩たちの動き、そして天から降って来る音響効果が加わって、しばらく中にいると少し酩酊したような感覚になった。
長い残響と、入り口から入って来る淡い光。
そこには、日常にはない異世界への扉が隠れている様に思えた。
その後アグラ城へと向かった。
ここも中は絢爛豪華、繊細で緻密な象眼細工と建築美、その当時の富と技術の結集した素晴らしい建物に見えた。
数世代に渡って増築改築を繰り返して、その時々の権力者の好みに合わせて建物が造られているので建築史的には非常に興味深い建物なのだろうと思った。
ところが、ここに来て自分の心が妙に冷めているのを感じた。
確かに素晴らしい工芸美だし、その時々の最高の材料と技術が投入されているであろう事は感じられた。
しかし、これを造る事で、どれだけの人が幸せになったのだろう?
先のタジマハールも、ある一人の女性のために夫が送った愛の象徴といえばロマンチックではあるけれど、こうして贅沢の限りを尽くした建物は、その権力の下で成された非人道的なまでの搾取の結晶でもある。
一人の幸福のために、ここまでやる必要が果たしてあったのだろうか?と思ったりもした。
一番最初にデリーで訪れたビルラ寺院は、やはり大理石で造られて立派だったが、そこには当然ながら個人所有の感覚はなかった。
神様に捧げるためにただ最高のものを用意しているだけであって、それは誰かの権力や富を誇るものではなかった。
ビルラ寺院の造りはここよりもはるかに質素であったけれど、柔らかくて丸いイメージであらゆる人を受け入れるような寛容さがあった。
このツアーの中で、訪れたり出会ったりした人々の中に、質素の内にある神殿を幾つも見て来た。
見かけはぼろを纏っていたり、大して立派な服を着ていなくても、その人達の内側には侵し難い高貴さが滲み出ていた。
しかし、今目の前にある立派で豪奢な建物は、見かけは確かに立派で素晴らしいのだけれど、その裏には人間の業欲と権力への冷徹な響きを感じた。
つまるところ、ここに自分の選択を見たような気がしたのだ。
『感覚的なものや物質的なものは、たとえそれがどんなに素晴らしいものだとしても、所詮全て外側の事柄に過ぎない。
それは本当の自分自身とは何の関係もないから、仮に一時得られたとしても、それはやがて崩壊し、自分の手からは離れてしまう。
しかし、内にある宝石は、決して失われる事がない。
それは存在そのものが本来持っているクオリティであって、誰かから奪えるものでもないし、また害されるものでもない。』
そんな事を、何かの本で読んだのを思い出していた。
アグラ城を後にしたバスの中で
『お前はそのどちらを選ぶのか?』と内側に問いかける声を聞いた。
『両方を。 しかし、物質的なものについては執着はせずに。』
それが当面の答えだと、今は思う。
その後、ドライブインにてこのツアー最後のインドでの食事。
トマトスープ、レンズ豆のカレー、グリーンピースとカリフラワーのカレー、ジャガイモのカレー、ほうれん草のカレー、チーズ入りのトマトカレーに生野菜、ナンとライス。
ツアー中食べた料理は、どれも辛さはマイルドで、それはそれでお腹を壊さなくて良かったのだけれど、せっかくなので『最後に思いっきり辛いのが食べたい』とお願いしたら、青とうがらしのスライスが数本分出て来た。
現地でも辛いのが好きな人はこれをかじりながら食べるらしい。
かじってみたが、めちゃくちゃ辛い。
でも何とか2本分くらいは食べて、一応満足した。
そうして、旅は終わった。
最後にお約束の蛇おじさんになって、インドの想い出は少しセピア色になった。
by yuniwauta
| 2007-02-28 23:54
| 瞑想