人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ゆにわのうたひ

yuniwa.exblog.jp ブログトップ

祈りの力

孫引きになってしまうが、ダライ・ラマがある本の中で「祈りの力」について書いていた。
それによると、人間は一度に一種類の感情しか持つ事ができないのだそうだ。
なるほど考えてみるとそうだ。

例えば誰かを憎んでいたとする。
いつもはその対象に対して「憎しみ」という感情を抱いている。
ところがある日、その人が自分の困難な状況を助けてくれたとする。
その時はその人に抱いていた「憎しみ」は「感謝」に変わる。
しかし、また自分にとって面白くない事がその人との間に起こると、また「感謝」は「憎しみ」に変わってしまう事もある。
いずれにせよ、人は一瞬の間に感情が変わる事はあっても、その時「憎しみ」と「感謝」を同時に持つ事はできない。
「好きだけど嫌い」というのは結局「好き」なんだがある瞬間は「嫌い」なのだ。

感情というものは一種の現象で、空にかかった雲のようなものに過ぎない。
お天気がころころ変わるように、感情もころころ変わる。
これは別に普通の事で何らおかしいことはない。
けれど、何らかのショックな出来事や過去のトラウマなど、長期間に渡って一つの感情がこびりついてしまうと話は別だ。
これは場合によっては深刻な心の不調和を生み出してしまう。

でも、おおよそ人間がいつまでも反芻してしまうのは辛い思い出だったりする。
もちろん良い話だって覚えているが、これは日々の滋養となって恒常的な「幸せ感」のこやしになるから問題はない。
しかし、これが辛い思い出となると....
そこには他の誰かや過去の自分自身に対する深い憎しみや、怒りのようなものがあったりする。

人というのは誰かとても嫌いな人がいると、本当に好きになった人に「嫌い」と言ってしまう。
そこには安心があって自分を受け入れてくれると分かっているからこそ、自分の心の中にわだかまった気持ちが出てしまうのだ。
それに、他人にせよ自分にせよ「拒絶」という行為は脳内の活性化を阻害する。
逆に他人を「受け入れる」と脳内の快楽物質を生成する部位が活性化されるのだそうだ。

ラマはここで、「人に対して怒りや憎しみの感情を抱いたら、即座に相手の幸福を祈りなさい」と言っている。
そうして「怒り」や「憎しみ」の感情ではなく、「祈る」という行為を通じて「愛」や「感謝」といった感情で自分自身を満たす事で、この葛藤を回避することができるのだ。

祈りの時は、手と手を合わせる。
すると右と左の陰陽のエネルギーが調和し、心が整う。
祈りの姿は陰陽(善悪)を越えて調和したワンネスを表す「型霊(かただま)」だ。

ちなみにレイキにもこの「型霊」がある。
「発霊法」という。
目線より高い位置で合掌して、両手の平を5ミリくらい(ほんの少し)離す。
すると正中線にズドンと気の道が通って意識がはっきりと目覚める。

祈りには、感情を溶かすだけでなく気道を整え意識を目覚めさせる効果もあるのだ。
もはや祈りは宗教的なカテゴリーの範疇のものではない。
誰もがもっと積極的に「祈る」という時を持つ必要があるように思う。

地球上の全ての人が一日5分でも祈りの為に時間を使ったら......
「モモ」に出てくる「灰色の男」ならぬ計算式

(現在の地球の総人口)53億×5(分)=265億(分)
時間にすると4億4166万6667(時間)
日にすると 1840万2778(日)
年にすると 5万418年と半年。

さてここで設問
もし一人の人が5万年祈り続けたらその人はどうなるだろうか?
by yuniwauta | 2005-03-03 21:24 | レイキ

ゆにわ主宰          歌島のひとりごと 


by yuniwauta
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31