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ゆにわのうたひ

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2005年 02月 01日 ( 1 )

死の先にあるものとは..

今までに何度となく遠隔ヒーリングを依頼されて、様々な方に遠隔する機会を持たせてもらいました。人それぞれに症状があり、感じ方も違いますが、毎回、新たな発見があります。

レイキを受講された方で、遠隔をしていて相手を感じるという人は少なくありません。何年かレイキを実践されてきた方のほとんどは遠隔で相手から何らかの印象を感じ取れるといいます。
感受性はそれぞれありますので、言葉で一言では言い表せませんが、皆さん一様に直感的に何かを感じているようです。ちなみに私の場合は、相手の体の状態を転写して自分の体として内側から感じます。私の周りでは割合このような感じ方をする方が多いようです。

死の床にある方や、事故で意識不明になっている方にも遠隔をさせて頂く事がありました、ごく一部ですが、ヒーリング中に感じたことを書いてみます。

ある末期ガンの方は、最後の手術を拒み、死を正面から受け入れる覚悟をされていました。延命治療を望む友人の方からの依頼で遠隔をしましたが、暗い部屋の向こう側に開いたドアが見えました、そしてそこから目映い光が差し込んでいました。その方の心に触れたいと望みましたが、彼はそのままドアのほうに歩いて行き、今にもその中に消えてしまいそうでした。それから間もなく、その方は亡くなりました。

別の女性は、交通事故で頭を強打し、頭蓋骨骨折で意識不明の重態でした。脳の壊死を防ぐために薬剤を投与して脳を眠らせるという処置がされましたが、彼女に遠隔すると、外の冷たい空気に吹かれながら、事故現場の上空に浮いている彼女の姿が見えました。
話しかけても全く反応がなく、ただ悲しみの感情が固まって凍り付いたような感覚を覚えました。幸い彼女は一命をとりとめ、無事回復に向かっていますが、あの時は事故の強烈なショックで心が破壊されないように、一時的に体から魂が抜け出ていたのかもしれません。

そして既に亡くなった方への遠隔もしました。お客さんに遠隔の伝授をすると5〜6人に一人の割合で死んだ自分の肉親や、友人への遠隔をしたいと言われます。
やはりこれも個人個人で随分違いますが、体がありませんのでよりクリアな印象が伝わってくることが多いです。そして、その多くの場合「成層圏上空を飛んでいる」とか「雲の上にいる」と感じ、お客さんもそのように感じるという方が多いです。

ここからは、私の勝手な推論です。

こういった事は、例えば幼い頃から見ていたお伽噺のイメージとか、そういった今までに生きて来た中で得て来た知識で構築されている「夢のイメージ」のようなもの、ともいう事ができるかもしれません。シュタイナーも「霊界の事柄はこの濃密な次元での言葉やイメージでは再現できない。だが我々がそうした世界から流れてくる何かを知覚したとき、既に我々の持っているイメージの中で最も近いものを選択してその何かに付与し、自ら幻影として投影したものを顕在意識が知覚するのである。(概要)」と語っていました。辛辣で正しい意見だと思います。

しかし、世界の各地で、このような死後の世界の像が、繰り返し語られて来たことは事実です。それがイメージの産物としても、自分の経験上の知識から「空」とか「高い(広い)ところ」とか「目映い光」といったイメージを呼び出しているもの、それそのものが死の先にある世界を示唆している事は疑いの余地がありません。

あるチャネラーの方は「成層圏よりも少し高い所に(魂達の休憩所)があり、これから地球に転生する魂たちが、大気の層の上の方から地上に生きるもの達にエネルギーを送ったり守護したりしている」と話していました。またこの付近の高度を飛ぶパイロットの話で「成層圏のある高度を飛ぶと沢山の子供のような笑い声が聞こえた」というものもありました。
実は私も幼い頃から「成層圏の上には自分の本当の家族がいる」と思い続けていました。はじめて飛行機に乗って成層圏の近くを飛んだ時、やはりかすかな笑い声を聞いた記憶があります。

しかし魂はずっと転生ばかりを繰り返すのではなく、この輪廻の輪を超えて解脱していくというのが仏教やヨガの教えにあり、もしかしたら成層圏というのは本当に休憩所のようなところで、私達はもっと高いところを目指すべきなのかもしれません。

私たちは今生この世にある以上は、その「魂達の休憩所」を経由して、今の地上に降りて来たのかもしれません。そして普通なら、やがて死を迎えた時、もといた所に帰ってゆくのかもしれません。しかし、私には死にはもっとそれ以上の意味があるように思えてなりません。

そして私は今日「死後の私」に向かって遠隔をしました。
その印象は個人的なものですのでここで公表はしませんが、あえてお話するとすれば「死後の私」というのは「ハイヤーセルフ」とが「エッセンスセルフ」と呼ばれる、輪廻しても失われる事のない「真我」の事に他ならないという単純な気付きがありました。つまりそれは私たちの中の永遠性です。そしてそれは、私が思っている以上にパワフルなものでした。

「死」という大きなテーマに、普遍的な答えを得る事はとても出来る事ではありませんが、こうして時々積極的に「死」について考えてみる事は大切な気がします。

是非皆さんもやってみて下さい。
by yuniwauta | 2005-02-01 22:25 | レイキ

ゆにわ主宰          歌島のひとりごと 


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