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ゆにわのうたひ

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滝クレンジング

今日は少し足を伸ばして、龍頭ヶ滝に行ってきました。
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新緑香るこのあたりの山肌も見事ですが、月曜日という事もあってほぼ貸し切り状態。
小1時間ほど瞑想をしてから、滝の裏にある洞窟で歌ってきました。
滝の周りは天然のマイナスイオンに満ちているし、人里離れた自然の中にいると本当に癒されますね。
少し体を動かしたり深呼吸をしたり...
体の中に新鮮でピュアなエネルギーが満ちてくるのが分かります。

写真にはたくさんの「たまゆら」が写っていました。

僕は滝業はしたことがありませんが無理に滝に打たれなくても近くにいるだけで充分効果があると思います。

ちなみに、滝業のネックは頭部への無作為な刺激ではないかと思っています。
頭部は無作為な刺激に長時間さらされると思考が停止してリラックスするのです。
これは「脳幹弛緩ヒーリング」の原理と同じです。
寒くないので、こちらのほうがお勧めです(笑)

龍頭ヶ滝は、出雲側からだと9号線から斐伊川土手を三刀屋方面に向かい、54号線を三次方面に向かっていく途中にあります。
滝入り口付近には砂鉄を湧かした時に出る「ケラ」が落ちています。
まだ調べていませんが、きっとこのあたりにも「たたら」があったに違いありません。

この近くにはもうひとつ「雲井滝」というのもありますが、またご紹介します。
by yuniwauta | 2005-05-16 18:14 | 出雲見聞録

千のこころを読む

いきなりこんなタイトルでは、何を書くのかと思われてしまいそうだけど。
要は人の直感のようなもの、目に見えない事をどう知覚しているかという話。
何せ最近周りからもよくこうした話題が持ち上がっていて、何かと考える機会が増えている。

目に見えない世界と一口に言っても、その捉え方は千差万別なような気がする。
人によっては、それは心の世界だったり。
遥か人類の記憶も遠いいにしえの話だったり。
またある人には霊界の話だったり。
神仏の世界や天使の世界だったりもする。

ある人はそれを「幻想」と呼び。
ある人はそれを「真実」と呼ぶ。

悪人が悪人としての生を終えて、敬虔な聖教徒の家庭に産まれる。
彼にとって信仰心とは目に見えぬもの。
全ては新しい。
かつて経験したことのない光の中で、彼の魂は神を想い、求める。
やがて聖教徒として立派に成長した彼の過去生には、残忍な悪党の姿が隠れている。
これもまた、目には見えぬもの。

過去、現在、未来
今見る事ができるのは現在だけ
過去は見えるが、幾らでも形は変わる。
ある辛い体験が過去にあったとしても、
それがある日突然「全ては必要な事だった」という気付きに至れば、
その瞬間に過去の思い出は障害ではなく現在への橋渡しになる。
未来は決められるようで決められない。
そして勝ち得たものも、やがては色褪せる
過去も未来も
目には見えぬもの。

見えないものを信じるとは?
見えないものの背後に、エゴが隠れている事もたくさんある。

ブッダは一回のまばたきの間に千回の転生の姿を見ると聞いたことがある。
一つの反応の中に、千の可能性が隠れている。
これもまた目には見えぬもの。

おしなべて眺めるならば
目に見えるものと見えぬものの違いなど、
どこにもない。
目に見えぬ未来は
可視の現在となり
やがて不明瞭な過去へと解体し
再び見えない世界へと消えてゆく
かつては他人だった人が
ある日かけがえのない人に変わってゆく
遠く旅立っていったかつての友人は
今はいるのかいないのか
確かめるすべもない

結局現実を眺める目の信頼度と同じだけ
目に見えぬ世界の真実は深いのだ。
自分を失って曖昧な不可視の世界に身を投ずるくらいなら
小さく狭くても真直ぐ今を見ている方がずっと価値がある。
by yuniwauta | 2005-05-15 23:21 | 雑記帳

スイッチ入ったかな?

昨日の宣言によって拍車がかかり、今日もすっかり音楽モードです。
とはいえ今は仕事が忙しいので、合間合間の僅かな時間をぬってはピアノに座り声を出しました。(とはいえこれは自宅開業の特権)

ちょっと錆び付き気味で始めは何だかぎこちなかったけれど、しばらくするとすいすいと曲が書けてくる。もちろん長くてしっかりした構成のものなどではなくて、フォークソングのような軽い曲です。

即興演奏歴が長いお陰でとりあえずコードさえ決めればメロは自然に出てくるので、あとは歌詞を練るという作業になります。

作品作りに対する姿勢というのは、ここに来て随分変わってきたなと思います。
以前は凝りに凝って、今までに聞いた事もないような音響を作るんだと頑張っていました。
それはそれでその作業自体は大好きなんですが、いかんせん疲れる。
そしてそれが長い徒労の末に出来たとしても、しばらくして聞き直してみるとさほど良くはなかったりするのです。

何でもそうかもしれませんが、時間をかければ良い物が作れるとは限らない。
自分にとっての一番のマイソングは、ベランダで雲を眺めていた時に突然フッと聞こえてきたもの。
完璧にピアノアレンジされた形で聞こえてきたので、あとは楽譜に書き取るだけで良かった。

作品に長く手を加えてしまうと、そこにエゴイスティックなものが塗り込められてしまう事がよくあります。
作品に対する所有感が強くなってしまうんです。
子供を育てた経験はないけれど、やはり同じではないかな?
なかなか手放さないでいると、何も出来ない子になっちゃったり、変に屈折したりする。
とはいえ、何にもしないのでは作品とは呼べないので、そのサジ加減が大切です。

今思うのは作品を作る時に、そこに緊張を生まないようにという事。
要は力を抜いて、自然に溢れるものを形にすればいいのだと思っています。
自分らしくないものを産み出しても、窮屈になってしまうだけだから。
どうせなら不格好でも、自分らしいもので囲まれたい。
by yuniwauta | 2005-05-12 23:49 | おとだま紀行

願いの叶う日

今日はジョーティッシュ(インド占星学)でいう「願望の叶う日」だったそうです。

お昼にTM瞑想をされているお客さんからその話を聞いたのですが、図らずも今朝、自分にひとつの喝入れをコードしたばかりだったので何となく面白いな〜と思いました。
普段はそれほど占星術的なものは気にしていないつもりですが、都合のよさそうな事は積極的に取り入れるいわばご都合主義です。

僕の今日の喝入れは「自分のエネルギーを、もっと積極的にクリエイティブな方向に流す」という事、要するにそろそろ充電期間を越えて新たな音作りするぞ!ということでした。

ヒーリングとアーティスティックな活動とをどう両立させるかというのは僕のここ数年の課題で、如何に自然にこの二つのエネルギーを融合させるかと問い続けながら、しかし、実際には流れのまま...たゆたう水草のような状態のまま2年が過ぎました、そろそろ重い腰を上げる時が来たなと思っています。
でないと、いつまでたってもやりそうにない(笑)

そんな折、突然に降って湧いたようにライブのオファーの電話。

やはり動きなさいというサインなのか?

仕事的にはこなしてきた音作り、しかし自己表現としての作品作りは随分していない。
島根に越してきて何もかもがリセットされたこの状態から、一体何が作れるのか?

しばらく振りにピアノのふたを開け、昨日浮かんだメロディーを歌ってみました。
蘇る感覚というよりも、赤子が初めて世界を覗くように。

という訳で、近々おそらく島根初ライブとなりそうな予感。
詳細はまた決まり次第お知らせします。
by yuniwauta | 2005-05-12 00:03 | 雑記帳

寿司よさらば?

ベジタリアン生活に入ってはや3ヶ月。
何となくあちらこちらで周りの方にも知れわたって別に奇異にも思われなくなったかなと思いますが....
時々周囲の人が気を使ってくれたりする様を見るにつけ、何となく申し訳ないような気もちらほら、時に自分でも「これってやせ我慢じゃないのか?」と問いかける事も多々ありました。

実際肉類はもう随分食べていませんでしたが、魚貝類はだんだんフェードアウトした感じ。
それでも日本に住んでいれば当然鰹だしのものだらけですし「完全に野菜だけ」というと食べるものがなくなってしまうので、そのあたりは適当にやっています。

ところで、昨日ふいにお客さんからご祝儀を頂き「じゃ何かおいしいものでも食べに行こう」という事になりました。
そうしたら急に「お寿司」が食べたいような気がしたのです。
昔の記憶というか習慣で、「外食=寿司」みたいな思考回路が出来ていたんですね。

それでも、何となく我慢しているような気もしていたところだったので「そうさ、日本人なんだから魚くらい食べなきゃ!」と、久々の解禁に意気揚々と寿司屋へ向かいました。

ところが食べる気満々で向かった始めの2皿くらいはまだ大丈夫でしたが....
そのうちだんだんと体が寒くなり、しまいには顔の血の気がどんどん引いて青ざめて来る始末。
以前はよく通った店ですが、最近はネタのクオリティがアップしており生エビやら大穴子やら、馬刺し、大トロ等もドカーンと乗った寿司が次々と流れております。
ネタも新鮮だし、反応が早すぎるのでこれは食あたりではないのは一目瞭然。
しかし、青ざめた僕には「魚の惨殺死体」が皿の上に乗ってさらし者になっているようにしか見えず、とても食べられる状態でなくなってしまいました。
せっかくの寿司屋なのにコーンやガリばかり食べ、ほうほうの体で帰宅。
口直しに買ったマンゴプリンが救いでしたが、散々な寿司解禁デーとなりました。

これで、やはり我慢しているのではなくて体に合わなくなってるんだという事が判明してしまったので、やはりもう当分寿司に心ひかれる事もないでありましょう。
寿司よさらば。
アディオス・寿司となった訳です。
by yuniwauta | 2005-05-10 00:47 | 雑記帳

生きているのか死んでいるのか


c0037400_057348.jpgおまへはいきているのかしんでいるのか

みずとおまへをさへぎるものは

いきることとしぬことのさかいは

かんがえることかんじること

たべることたべられること

ねることねないこと

おまへはわかつているのか

それともそのふたつのものの

あいだにたつているのか




うすころも はくとうろうの みをわかせ
つめたきうみの ちしをうごかす




写真は加茂水族館HPより
加茂水族館
くらげ展示数としては国内一の水族館だそうです。
江ノ島水族館も良かったですが、レイアウトはこちらのほうか良さそうです。
こんな奴らに囲まれてホゲーッとした一日を過ごしたい。
by yuniwauta | 2005-05-09 00:02 | 時には詩歌など

人の道は女性(母性)へと続く?

今朝ひいたタロットに、こんな一文が書かれていました。
『もっとも高い頂きでは、愛の道に従おうと、あるいは瞑想の道に従おうと、あなたは女性的になる。』
タロットの解釈は全然できない僕ですが、このセンテンスが妙に引っかかってしまい、一日頭から離れませんでした。

僕自身「霊性の探求」と呼べるほどたいそうな事はしておりませんが、人の究極に至るとは如何なる事かという問いはいつも胸の奥にあります。
こんな事を言うのはおこがましいですが、確かに今まで出会った方の中でも霊性の高さを感じさせて頂いた方は男性であれ女性であれ皆さん少なからず女性(母性)的であったように思います。

そういえば以前読んだ錬金術の本の中で、ある錬金術師が賢者の石の完成の証として女性になって現れたという下りがありました。もちろんそれは性転換したとか女装趣味が発覚したとかいう話では当然なくて、両性具有を体現した結果云々と書かれていました。

それはともかく内なる男性性と女性性がバランスされると、人というものは自ずと女性(母性)的な雰囲気を醸し出すようになるのかもしれません。

それは宇宙そのものが母性的であるから?
神(男性性=顕現するという意味で)の前にあって、人は全て神の妻(女性性)であるから?
しかし、造物主としての神は、やはり産み出すという母性を現しています。

この地球も母なる地球と呼ばれるように、女性(母性)的ですよね。
その素材から造られ、神(宇宙)の似姿につくられた人間は、やはり究極的には男性であれ女性であれ、皆母性的な存在になっていくのかもしれないなと思う今宵でした。
by yuniwauta | 2005-05-06 23:56 | 雑記帳

灌頂

昨日ひょんな縁があって峯寺にて「阿弥陀如来の灌頂」という儀式に参加させて頂きました。
何せはじめての事でどういう事をされるのか良く分からないままの参加でしたが、紙には「阿弥陀如来の功徳を授ける儀式」とあり、自分的には瞑想のマントラ伝授のようなものかな?と思っていました。

興味が湧いた一番のきっかけは、伝授をされるお坊さんがロサン・ガンワン・ケンスル・リンポチェという方でダライ・ラマの第一弟子で元ギュメ寺の館長をされていたという事。
ダライ・ラマにはお会いした事はありませんが、少なからずチベット密教には関心があったのでどんなお方か是非拝見したく!という下世話な理由での参加でした。

約3時間に及ぶ儀式でしたが、阿弥陀教の内容に乗っ取った解説、イメージングを使いながら徐々にエネルギーを引き寄せては内側に充電させると言った秘技が続きます。
儀式は「廟による灌頂」「酒(甘露)による灌頂」「薬草による灌頂」ともう一つは何だったかな?
全部で4つの灌頂がありました、「無病息災、健康長寿」を授けて頂いたようです。
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途中頭の上の方に丸い玉のようなエネルギーを感じて、しばらくするとそれが解けて体に入っていったような感じがしました。
終わったら何だか体が浄化されたような感じで、まったりと清まった感じがしました。
灌頂で頂いたお酒(甘露)や薬草(甘い団子)もおいしかった!

実は僕自身、4月のスケジュール調整を放置したまま突き進んでいたために数日前とうとう体にガタが来てしまい、背中の痛みで夜もろくに眠れない日々が続いていました。
そんな折、またしてもひょんなきっかけで先日ブログでも紹介したヒーラーの森めぐみさんが娘さんのあるちゃんと一緒に我が家へ来てくれていて、この日の朝は二人掛かりでヒーリング(ありがと〜!!)して貰い、更にこの灌頂を受けてエネルギー充填させて貰いました。
お陰で今日は一日爆睡!あ〜こんなに体ちゃんを疲れさせてたかと反省しつつ、このタイミングで必要な方に出会わせて頂いた事に感謝感謝でありました。

しかしこの儀式に参加させて頂いて一番驚いたのは、このガンワン先生の集中力でした。
とても温かい、ナチュラルな感じの方で、しばし冗談も交えながらやさしく、しかししっかりと解説しながら淡々と儀式を進行していきます。
お教と解説を交互にしながら、廟による灌頂では参加者一人一人に灌頂をして下さいました。その約3時間に及ぶ儀式の中、通訳を通す間以外ずっと話されていましたが、常に一定のテンポ感、声一つ枯らす事もなく、微塵の集中力の欠如もありません。
そして始める前と終わったあとと、まるで何も起こらなかったかのような感じ。
先生が去って部屋に人気が消えてから、改めてさっきまでの空間が日本のある場所ではなくお話にあった通り『西方浄土にある知恵の塔』と化していたのだという感じがしました。
あまりに自然だったので一瞬忘れていましたが、後で改めて思い出してやはり凄いなあ..と思いました。

本物の方というのは、やはりいつもこんな風に感じます。
無理な力も出さないし、変に抜く事もしないで、中庸のエネルギーを保ち続ける。
頑張り過ぎて体壊してるようじゃいかんです。
この安定感、是非自分も身につけたいところです。
by yuniwauta | 2005-05-05 20:21 | 雑記帳

本日の音霊レシピ

出雲大社はそろそろ大祭礼の時期。
ゴールデンウィークの前後は大社境内に舞台が立ち、各地からの神楽奉納が連日のようにされています。
ここも晴れた日に窓を開けていると大社の神楽が風にのって聞こえてきます。

だいたいこの時期は忙しいので、近くても実際に見に行く事はないのですが、音だけ聞いていても社中によっていろいろなスタイルがあるように聞こえます(演目が違うだけかもしれませんが.....)

今日は久々の雨でしたがそれでも奉納されていたのか、雨の音に混じって時々低い太鼓の音が聞こえてきました。

雨に濡れた庭の草が、瑞々しい新緑の緑色を放ち。
障子の白との絶妙なコントラスト。
そこにしとしととランダムに降り注ぐ雨音。
いつものゆにわのヒーリングミュージック(シンセのドローン)
そこに低くかすかな太鼓の音がゆったりとビートを刻み。
時々カエル数匹&ウグイス参加。

なかなか静かなアンビエントを醸しておりました。
by yuniwauta | 2005-05-02 01:13 | おとだま紀行

ありがとうございました。

以前このブログで遠隔ヒーリングのお願いをしていました脳死状態の4才の男の子ですが。

本日夜8時32分。
静かに眠りにつきました。
約2ヶ月、よく頑張ったと思います。

ご協力頂きましたたくさんの方にこの場を借りて感謝致します。
ありがとうございました。
by yuniwauta | 2005-05-01 23:23 | 雑記帳

ゆにわ主宰          歌島のひとりごと 


by yuniwauta
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