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ゆにわのうたひ

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ティーチャーについての残念

これは以前から問題になっており、ネット上の様々なところで話題になっている内容なのですが、多少批判的な書き方になるので、今まで記事にするのは控えていました。
それは、同じレイキのティーチャーでも色々な方がいるという単純な事実です。

僕自身はあまりこういう事をとやかく思ってはいなかったのですが、このところ再アチューンメントの依頼が増えて、この問題は取り上げる必要があると思いました。

本来レイキは一度受講すれば生涯使う事ができるというのが大前提です。
ですので、再アチューンメントというのは、ティーチャーの成長によって更に深いレベルのアチューンメントが可能になっている時や、クレンジングを含めたパワーアップを求める場合にのみ有効なものであると認識しています。

ところが、再アチューンメントを希望する方のお話を聞いてみると
「レイキを使えているという実感がない。」
「マントラを教わっていない」
「マントラは教わったが、どうやって使うのか聞いていない」
「テキストがなく、アフターフォローやサポートもない」
「遠隔しか対応していない」
等など、こちらとしてはにわかに信じ難い状態でアチューンメントをしている場合がたくさんありました。

「レイキを使えているという実感がない」
気感に関しては確かに個人差はありますが、ティーチャーの習熟度が充分にあれば、ある程度の気感もしくは体感は持てるようになるはずです。
これはサポートの充実によってほとんどの場合回避できる問題で、メールや電話などを通じてサポートしたり、勉強会などを開催して認識を深めてもらう事ができれば充分に対応可能と考えます。

「マントラの使用法やテキストがないという場合」
マントラの伝授をしていないというケース、考えられませんが実際にあるようです。
レイキなら3rdまで終了していれば必ず4つのシンボルが入っていますので、それがないというのはティーチャーの怠慢なのか、それともレイキと称する別のエネジーワークなのか判別は難しくなります。
また、テキストがないという場合も、もしティーチャーが日常的にレイキに親しんでいるならばいくらでも使える方法というのは伝授できるはずです。
もちろんフォーカスが異なればまた違った使い方というのも考えられるので、ティーチャーによってオリジナルな活用の方法を教えているところもあるでしょう。
しかし、こうした事が全くないとしたら.....残念ながらそのティーチャーはレイキを本当に理解しているとは思えません。

「遠隔しか対応していない」
本来対面で行うのが基本であるアチューンメントですが、確かに遠隔地や事情によっては遠隔でも可能です。
しかし、もし遠隔でしか対応していないとなると話は別です。
やはりエネルギー伝授とはいえ、基本的な信頼関係が築けていない伝授はいささか不安要素が多いものです。

遠隔のみの対応でも、事前の電話やメール、もしくはアフターケアなどで誠意ある対応をしているならば問題ないのですが、ただアチューンメントのみで、本人の住所や連絡先、顔写真すら明かさないというようなケースもあるようです。
このような場合は、ほとんどがサイドビジネスとしてレイキを利用している方で、日中は仕事をしているので、ほとんどの場合伝授は夜間のみの対応です。

この問題は、レイキのアチューンメントが技術的にそれほど難しいものではないという点にあるでしょう。
技術としてのレイキは、決して難しくありません。
アチューンメントも合理化され、しっかりとマニュアル化もされているので、さほど難しい技術を使わなくてもその質や深度を度外視すれば、実際誰にでも可能になっています。
なので、後はティーチャーの質であったり、相性、またはサポートの充実度といった側面が大きく作用してくるのです。


直接人と接するのが苦手で、それでもレイキを身につけたいからと遠隔を希望される方もいらっしゃると思いますが、そういう場合はまず事前にしっかりコンタクトをする事をお勧めします。
一番手っ取り早いのは電話をする事です。
声を聞くと直感的に相手の事を感じられますので、もし電話をしてみて相手から支配的な感じや圧迫感、苦しさを感じるようならそのティーチャーとは相性が良くないので、やめた方がいいでしょう。
逆に安心感や親しみが持てるようであれば、アチューンメントも質の良い体験となるはずです。

エネルギー伝授というのは一見目に見えないので、誰から受けても大した違いはないと思われがちですが、実は思っているより深いレベルに共振してしまうので、ティーチャー選びは慎重に行う必要があります。

また、何人もの方からアチューンメントを受けたり、レイキ以外のエネルギー伝授を頻繁に受けたりする方が時々おられますが、これは霊的混乱をきたす恐れがあり大変危険ですので注意しましょう。
# by yuniwauta | 2006-04-06 22:21 | レイキ

命主社の仮殿遷宮。

今年は何かと役が多いらしい。
出雲に来て4年目、とうとう今年は隣保班の班長になった。
この年度は近くの歴史博物館の落成やら、大社の例祭での稚児行列の当番やらと、いろいろと町内の仕事が重なっているとか...

そうして中でも大きいのが、我が家の裏にある出雲大社の摂社「命主社」の遷宮である。
ここは昭和33年の遷宮以来、約50年ぶりの遷宮となる。
僕は今年はたまたま班長だったので、社殿の御物を運ぶ役回りを仰せ付けられた。
命主さんにはいつも守って頂いているし大好きな神社なので、これは光栄と引き受けた。

知っている方は分かると思うけれど、命主社はそれほど大きな神社ではないので、遷宮の儀式といっても小規模なものを想像していたのだが...いざ当日になってみるとエラい事に!
社殿の前には4〜50人の神職の方々が出雲大社から来られ、神妙な笛太鼓の音が響き、祝詞が奏上される。
参列者は神職とこの町内の人たちに神社関係者(?)を加えて100名くらい。
観光客は一人もいない、純粋な儀式だった。
遷宮の祝詞のあとは、それぞれ役のある者は名前を呼ばれるので「おーー!」という警蹕で返事をして前に出る。
僕も御物を運ぶ係だったので慣れないながらに「おーー!」と言って前に出た。
大榊を渡され御神体の行列に加わる。

社殿からご神体を出し、大社内の十九社に運んで行く。
ご神体の周りの白い布や行列の規模からしても神迎えの行列と変わらない、そうそうたる儀式だ。

移動中は終止『警蹕』と呼ばれる「おーーー!」という声が響きわたるのだが、これがなかなかいい。
つい先日はヨグマタに出雲に来て頂いて、たっぷりとヒマラヤのバイブレーションに浸ったばかりなのに、今日は神道の儀式に参列し大榊を担いでいる自分が可笑しくもあったが、わずか10分程度の移動の中、自分の内側に何やら宿るものがあった。

この儀式は、いつから続いているのだろう?
なぜ、このような事をするのだろうか?
そして、僕は何故ここにいるのだろう?

儀式が終わったあと、我が家の管理人の方が満面の笑顔でやってきて
「あなたは運がいい。こんな事は、もう一生ないですよ。」と言って下さった。
土地の人々が大切に守って来た信仰の中に居て、よそ者である自分が何故このような経験を許されているのだろうか?

儀式の途中、いつの間にかこの地の空気に親近感を感じている自分がいた。
数年前までは神秘的な異国に思えた出雲が、今では自分の足のように一体化している。
一気に数千年の時がシンクロして、時間の感覚が溶けていくようだった。

未だ、ほろ酔いのような感覚が残っている。
秋には新しくなった社殿に、再び御神体を納める「正遷宮」がある。
その時には、また再び大榊を担ぎたい、と思った。
# by yuniwauta | 2006-04-05 21:52 | 出雲見聞録

春ですね。

毎年の楽しみですが、今年も我が家の白木蓮が満開です。
春ですね。_c0037400_20344750.jpg

今年は少し暖かいのか、例年より1週間ほど早いです。
満開の時は奇麗ですが、明日雨が降ってしまうとすぐに茶色くなって枯れ落ちてしまいます。
げに『花のいのちは短くて...』とぞ申しける。
# by yuniwauta | 2006-03-27 20:37 | 雑記帳

新ブログ開設

前々から気になっていたのですが、僕の活動形態がヒーラーとしての部分とミュージシャンやインプロ活動の部分とに大きく分かれており、ひとつのブログ内に記事を混在させるのが、ちょっと煩雑な感じになってきました。

そこで、新たにアート・クリエイションの方面に関するブログを別に立ち上げました。
その名も
『即興実験工房 ゆにわ』でございます。
仮タイトルですから、そのうち替えるかもしれませんが....

こちらはアートワーク、ワークショップ、インプロ、作品作りの哲学など..個人的な内容になっていく予定です。
ブログ新設を機に、このブログ内のカテゴリーをいくつか転記したのですが、あらためて「よくこんなにいろいろ書いてたな〜」と関心したり...

お暇な方や興味のある方は、こちらのブログ共々よろしくお願いします。
右側のメニュー欄からもリンクしています。
# by yuniwauta | 2006-03-23 23:19 | 雑記帳

ホメオパシックテレパシック...

先日友人が忘れていった「ミュータント・メッセージ」という本を読みました。
ふとしたきっかけからアボリジニの最後の部族とともに砂漠を120日間も旅した女性の話。
この本、随分前から好きで読んでいましたが、あらためて読み直してみるとまたポロポロと鱗が落ちる事多数。

心に残ったのは彼らが言葉を介さずにテレパシーによって会話をする事に関する下り

『この部族がテレパシーを活用できるのは嘘をついた事がないからだという。作り話、曖昧な真実、想像上の思い込みなどとは無縁なのだ。まったく嘘をつかないため隠す必要がない。彼らは自分たちの心を開く事を恐れず、互いに進んで情報を交換しようとする。(ミュータント・メッセージ   マルロ・モーガン/小沢 瑞穂訳)』

ワークの中でも、メンバーの中でいい信頼感が生まれてくると多かれ少なかれハートがオープンになってきます。こういう状態の時はいわゆる「テレパシックな状態」が起こりやすくなるのですね。
多くの場合は『誰かとても動きたい一人に全員が合わせてしまう』という擬似シンクロ状態だったりするのですが、時に本当のシンクロが起こる事もある。
水鳥などが、申し合わせたように一斉に飛び立つような瞬間。

こういう瞬間には、他者に対する不信感やら、競争心やら、心を開く事への恐怖など...他人と自分を厚く隔てている壁が一時的に崩落するのでしょう。

こういう体験って、現代に生きる人には一種の毒の体験かもしれないなと思ったりします。
何故なら日常生活に於いて、こんな無防備に生きて行くのは大変だから。
でもこの毒は、深い部分で人の心の中の古い記憶や、健康な人間関係のありようと繋がっているような気がします。

一種のホメオパシーのように、ワークでのこうした体験が心の別の部分のわだかまりを溶かしていくといいなと、いつも思っています。
# by yuniwauta | 2006-03-22 00:26 | インプロ

ゆにわ主宰          歌島のひとりごと 


by yuniwauta
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